音楽の世界からITで起業。縁のなかった長野に移住し、飲食店経営へ。“チャンスをつかむ”人生とはーー

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小学2年でギターを始め、大学卒業後に上京して音楽の世界へ。ただ、壁は厚く、IT起業家に転身。その数年後、縁もゆかりもなかった長野への移住を決断した。システム開発やデザイン制作などを手がける、SEIES(セイエス)の代表・山田隆幸さん。彼が辿ってきた数奇な人生、そして長野での暮らしぶりや将来について聞いた。

大阪で生まれ、東京で起業。縁もゆかりもない長野へ

夜、長野市内のライブ会場。大人たちの歌声や楽器の音が鳴り響く。その輪の中に、サックスとギターを力強くかき鳴らす人がいる。システム開発やデザイン制作などを手がけるSEIES(セイエス)の代表・山田隆幸さんだ。

大阪で生まれ、2012年に東京で起業。2016年に長野市内に支社を構え、自身も移住した。今は大半を長野で過ごす。ただ、長野とはそれまで縁もゆかりもなかった。

「Facebookで『おためしナガノ』の広告を見て、すぐに応募しました。そのまますぐに支社をつくって、引っ越すことにしたんです」

「おためしナガノ」は、県が行っているUIターン関連の制度だ。IT関連の事業者や個人事業主らを対象に最大約6カ月間、引っ越し代や交通費、県内でのコワーキングスペース利用料などを補助している。2015年以降の4年間で80人が利用。いきなりUIターンとなるとハードルが高いが、まずは“おためし”で現地の暮らしを体験することで、UIターンの足がかりにしてもらおうという狙いだ。

水、空気、自然、食べ物。「おためしナガノ」に参加し、「どれも満点」と長野の生活に惚れ込んだ山田さんは、すぐに支社開設と移住を決断。東京の事務所で働いていた社員3人を引き連れ、長野に降り立った。今は心身ともに、充実した日々を送っている。

音楽でスカウトされて上京。しかし、生活できない日々…

山田さんの経歴はユニークだ。祖父は戦後一代で呉服屋を築き上げ、かつては田中角栄元首相とゴルフをしたこともある。数々の政治家や有名人のスーツを仕立てた。そして、父の影響で小学2年のときにギターを始めた。そこから、音楽にのめり込んでいった。

高校を卒業後、関西の大学に進学。勉学の傍らで、3つの音楽部に所属し、バンド活動に明け暮れた。それに飽き足らず、当時住んでいた姫路市(兵庫県)のストリートでも1人で歌った。そして、塾講師をしながら音楽活動を続ける中、芸能事務所にスカウトされ、上京して本格的に音楽の世界に飛び込むことになった。

(提供:長野県)

ただ、そう簡単に芽が出るような生易しい世界ではない。事務所を転々とし、「3つ目の事務所で音楽よりもタレントをやれと言われて。テレビや映画、CMなどにも出演しました。ただ、いろいろやったけど、それだけでは食べていくことができなかったんです」。

芸能活動は続けながらも、生活費を稼ぐために契約社員として携帯電話の試験進捗管理やシステム開発を手がける会社で働くようになった。さらにその後、コンサルタント会社に正社員採用され、ITやセキュリティのコンサルタントとして働いた。人事部長などの重役も経験した。その間も、細々とだが芸能活動は続けていた。

「音楽で成功する」と上京して数年。遂に芸能の道はあきらめ、SEIESを立ち上げることにした。当時勤めていたコンサルタント会社が「社員全員を起業家にする」というポリシーを掲げていたこともあり、自然と意識が起業へ傾いていった。ITに強いこだわりがあったわけではないが、一緒についてきてくれた後輩たちが技術者だったため、システム開発を事業の軸に据えることにしたという。2012年、東京・秋葉原にオフィスを構え、事業は順調に拡大していった。

ただ、そんな会社の状況とは裏腹に「自分自身が、どんどん不健康になっているのがわかったんです」と、東京での暮らしにストレスや不安を抱えるようになる。どういうことなのか。

満員電車にストレス。システム開発の仕事はどこでもできる

満員電車のストレスに加え、空気も水もおいしく感じられない。「東京から仕事をとることさえできれば、システム開発の仕事はどこでもできる」と、本格的に地方進出を考えるようになった。

でも、なぜ長野だったのか。冒頭で紹介したように、直接的なきっかけは「おためしナガノ」のFacebook広告を見たことだったが、それ以前から漠然とイメージだけは膨らませていた。

休日、ふらっと温泉に立ち寄り、リラックスできるのも魅力という。

「四国や九州、沖縄などの移住関連情報はよく目にしてたんですが、東京からは少し遠くて。長野は、距離的にちょうどよかったんですよ。新幹線の東京駅・長野駅間は70分ですからね」

そうして2015年秋、社員を連れて「おためしナガノ」に参加。東京と長野を行き来する生活を送った。食や自然のほか、「ある程度都会なので不便もない」ことや、ふらっと温泉に立ち寄れる環境も心地よく、すぐに気に入った。

支社開設を市に相談すると、賃料ゼロの長野県創業支援センターの一室を紹介され、入居審査を通過。2016年、社員と一緒に念願の支社開設と移住を果たした。山田さん同様、他の社員も長野にはまったく縁がなかった。多くは東京生まれ・育ちの都会人。でも、「他の社員もみんな喜んでいた」という。

食、温泉、音楽。「寒さ以外は大満足」の生活

「冬の寒さを除けば、大満足ですよ」。山田さんは今、長野での生活を満喫している。

魅力はどんなところにあるのだろうか。まずは、食だ。肉や野菜、フルーツ。どれをとっても最高だという。新鮮なりんごを食べて育つ信州牛はフルーティーな味わいが絶品で、飯山市の特産「みゆきポーク」は、信州が誇るブランド豚として全国各地のレストランや旅館でも人気だそうだ。

フルーツや野菜は、東京と比べ物にならないほど新鮮でおいしいという。りんごも長野の代表的な味だ。

野菜やフルーツも、「新鮮そのもの」。山田さんの自宅から徒歩1分の場所にある産地直売所。「この前食べたブロッコリーなんて、わずか1時間前に収穫されたものでしたよ。きゅうりも糖度が高く、めちゃめちゃ甘い。感動しますよ」と興奮した様子で話す。東京で飲食店を経営する知り合いを連れて来たときには、単価100円前後の野菜を3万円分購入したというエピソードもあるほどだ。

ほかにも、休日はふらっと温泉に出かけたり、趣味の音楽を楽しんだりしている。社員らと組むバンド活動では、東京でも定期的にライブを開催。長野市では、2人でのユニットとしてライブをしている。他の社員もそんな暮らしを楽しんでいるようで、野菜を分け合ったり、バンド活動をしたりとまるで家族のような関係だ。

唯一、冬の寒さは体に堪えるそうだ。「冬は台所のスポンジが凍ってしまいます。凍らしたくないものは、冷蔵庫に入れるんです」。でも、それを乗り越えた先に訪れる春の喜びは、「半端ない」。春の訪れとともに、産地直売所には山菜や筍などの旬の食材が並ぶようになる。「季節のものを、そのときに食べる。それが、本来的な生き方ではないでしょうか」。

仕事はどうか。今も都内のクライアントが中心だが、東京には月に数日、打ち合わせで顔を合わす程度で支障はないという。一方で、長野県内の事業者ともホームページ制作などの取引が増えている。

よく“田舎は閉鎖的”“村八分の考え方が根強い”などといわれるが、山田さんも最初はそういった空気を感じたそうだ。ただ、その壁は音楽が溶かした。長野市には音楽が演奏できる店が多くあり、そこで演奏をしたり一緒に酒を酌み交わしたりとしているうちに「友人や知人は長野の方が多い」ほどになった。

次の一手は、飲食店×IT企業

そんな山田さんは、次の一手を練っている。それは、「長野で飲食店をやりたい」という目標だ。

長野の豊かな食文化に感銘を受けた山田さん。そこから派生し、今は「特に乳酸菌や酵母について研究したい」という熱が高まっており、「そういうものを出せる店。例えば、飲むヨーグルトの店とか。その奥は、SEIESのオフィスがあるイメージです。飲食店とIT企業。なかなか聞かないですよね。だからこそ、やってみたいんです」。

趣味の音楽活動も、長野と東京で続けている。

これは余談だが、つい最近まではラーメン店の「天下一品」をフランチャイズで経営する計画もあったという。山田さんが長野に来て驚いたことの1つが、「天下一品」のラーメンの味。「水が違うせいか、東京で食べるよりも断然おいしく感じた」が、最近になって県内に唯一あった店舗が閉店し、長野から「天下一品」が姿を消したという。「ショックすぎて、自分でやろうと」。そこから、飲食店経営の構想が浮かんだそうだ。

長野に来て、飲食店を経営する。おそらく山田さん本人も、そんなことは夢にも思わなかったはずだ。「こっちに来てから、不思議と流れがよくなりましたね。簡単に言うと、運がよくなった。『こういう人と会いたい』と思うと会えたり、『こういうことをしたい』と思うとそういう機会が訪れたり。いろんなチャンスが増えましたね」

次々と訪れるチャンスをつかんでいった先に、どんな景色が広がっているのだろうか。山田さんとSEIESの今後に、期待は高まるばかりだ。

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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