「この暮らしが、私にとっての幸せ」。故郷・長野と東京の2拠点生活で手にした大切なもの

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認定NPO法人ふるさと回帰支援センターが実施した「移住希望地域ランキング」(2018年度)で1位を射止めた長野県。県が打ち出すユニークな移住施策の1つに、IT関連の個人・法人を対象に住まいや交通費などを補助する「おためしナガノ」がある。これに参加し、現在は実家のある同県安曇野市と東京の2拠点生活を送っているのが、フリーランスのWEBディレクター、筒木愛美さんだ。「参加してよかった」と念願の暮らしを手にし、充実した日々を送っている。この「おためしナガノ」、果たしてどんなメリットがあるのか。そして、筒木さんはどう仕事と暮らしを両立させているのか——。

満天の星空と、深夜まで働く激務の日々

空高くそびえる北アルプスの山々、辺り一面に広がる田園。夜空を見上げれば、満天の星空が目に飛び込んでくる。

安曇野市にある筒木さんの実家から眺める日常風景だ。「小さい頃は当たり前の風景であまり意識してなかったけど、私にはこの場所が性に合ってるんですよね」。筒木さんは、そう笑顔で語る。

北アルプスの山並みは絶景だ。週末には実家の農業を手伝うこともあるという。

1990年にわさび農家の娘として生まれ育った筒木さんは、高校卒業とともに東京の大学に進学。学生時代は、NPO法人国際ボランティア学生協会(IVUSA)に所属し、災害支援や地域活性の活動に熱心に取り組んだ。大学2年のとき、日本を揺るがした東日本大震災が発生。現地で支援活動を行い、SNSを使った広報業務に携わる。そこで感じたのが、「インターネットの力はすごい」ということ。その経験が、今に連なる“伝える”仕事の原点だ。

(photo by. 飯本貴子)

大学卒業後のステージに選んだのは、東京・渋谷にあるWEBコンテンツ制作会社だった。アパレルや教育系、化粧品メーカーなど、幅広いクライアントを相手にWEBメディアの運用やSNSマーケティングの仕事をこなした。無我夢中で働く日々。やりがいはあったが、少しずつ気持ちが地元・長野に傾きはじめる。何があったのか。筒木さんは、当時の心境をこう振り返る。

「電車に揺られて自宅と会社を往復する毎日。『明日の朝までに提出してほしい』とクライアントに急に頼まれ、終電で帰ることもしばしばありました。当時は今ほど、残業時間を規制するような動きも少なかったですからね」。激務と慌ただしく過ぎ去る日々に、次第に心身が疲弊していった。

2017年3月、悩んだ末に退職することを決断。故郷への思いは抱えながらも、次のステップはソーシャルスタートアップに決めた。ユニークな防災活動に取り組む一般社団法人防災ガール。社会人1年目からプロボノ(職業上の知識やスキルを生かしたボランティア)として支援していた同法人の活動に、本腰を入れることにした。そこで専属で働いた約1年の間に、滋賀県で暮らすなど全国を訪ね歩く日々を過ごした。するとまた、「長野に帰りたい」思いが蘇ってきたという。

ただ、長野には自分のスキルを活かせるような職場があるかどうか。WEB制作会社はあっても、筒木さんが得意とする「WEBの“コンテンツ”をつくるような会社は少なかった」という。ちょうどそのとき、前職のWEBコンテンツ会社から業務委託の相談が舞い込んだ。

「長野に帰りたいけど(行きたい)会社がない。でも、働かないといけない。フリーランスでクラウドワークも検討しましたが、単価が低く不安定。そんなとき、たまたま前職の会社が声をかけてくれたので、『やってみよう』と」。

防災ガールに専属勤務していたときも厳密にはフリーランスの立場だったが、そのままフリーランスで押し通すかどうかは決めあぐねていた。独立するにあたり、収入ゼロでスタートするのと、一定期間安定的な収入が見込めるのとでは大きな違いがあるだろう。お世話になった前職の会社に背中を押される格好で、筒木さんは本格的にフリーランスの世界に飛び込んだ。

それからおよそ半年後、前職の東京本社での常駐期間が終わるタイミングでたまたま見つけたのが、「おためしナガノ」だった。その“おためし”を経て、筒木さんは現在の長野と東京を行き来する2拠点生活の足がかりをつかむことになる。

(photo by. 飯本貴子)

 「おためしナガノ」で、フリーランス・多拠点生活にトライ

「おためしナガノ」は、IT関連の個人・法人を対象に、最大約半年間にわたって宿舎の提供、引越し代や県内外への交通費、現地でのコワーキングスペース利用料などを補助する制度だ。いきなり移住したり、サテライトオフィスを開設したりすることに二の足を踏む個人や企業は少なくない。そこで、まずは“おためし”で現地の雰囲気や仕事のペースなどをつかんでもらおうという狙いがある。

参加者は、県内十数か所の市町村から実施場所を選ぶ。筒木さんは長野市を希望した。「新幹線の停車駅で、県庁所在地でもあるため企業が多く、仕事の機会が多そう」という理由からだ。

住まいは善光寺近くの風情漂う城下町。県が所有する4DKの平屋を家賃ゼロで提供してもらい(光熱費や家財道具は自己負担)、日々の仕事は主に市内のコワーキングスペースで行った。さらにここを拠点に、定期的に実家のある安曇野市やクライアントがいる東京を行き来する“3拠点生活”を送った。

「基本的には長野市に拠点を持ちつつ、クライアントとの打ち合わせがあれば東京に行くスタイルでした。リモートワークを始めたばかりで慣れないこともあり、最初は毎週のように東京に行ってましたね。東京では友人の家をルームシェアしてました。例えば、『毎月最大◯泊までさせてほしい。その代わり◯円払う。だから洗面道具を置かせて』という感じで」 

善光寺周辺にはおしゃれな飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。

リモートワークで使っていた長野市のコワーキングスペース「CREEKS」

そんな“おためし3拠点生活”を半年ほど続けた結果、どんなことが見えてきたのだろうか。筒木さんは満足げにこう語る。

「やってよかった。そう強く思いますね。第一に、その名の通り“おためし”できるのが魅力です。多拠点生活を送る場合、どれくらいの頻度で東京に行けば仕事が成り立つのか。やってみないとわからなくて。交通費を補助してくれたのはとても助かりました。独立したばかりでお金がなかったので、自腹ではきつかったですね。続けるうちに、『この仕事はオンラインでいける』『こっちの仕事は直接顔合わせた方がいい』と判断できるようになり、『これなら2拠点生活ができそう』と手応えをつかむことができました」

 4年で80人が利用。拠点開設や2拠点生活で定着

長野県の創業・サービス産業振興室によると、終了した過去4期の「おためしナガノ」の累計応募者は98組168人に達し、書類選考などを経て最終的に43組80人が実際に制度を利用したという。県出身のほか、長野を旅行で訪れて好きになった人などもおり、出身地は幅広い。

また、「おためしナガノ」を利用した後も、長野県と関わりを持ち続ける参加者は少なくない。例えば、東京に拠点を置くIT企業が県内でコワーキングスペースを運営するようになったり、筒木さんのように東京との2拠点生活を送る人などがいるという。

創業・サービス産業振興室の担当者は、「毎年一定数の人に何らかのかたちで長野県に定着していただいており、今までになかった首都圏と長野との新たなつながりが生まれています」と手応えを示す。さらに、ホームページやSNSなどを使って積極的にPRを続ける中で、「制度を始めた当初よりも、『おためしナガノ』の認知は広がってきています。副業解禁を含めて多様な働き方が広がっており、いろんな企業が参加しやすい状況になってきていることも影響しているのではないか」と分析している。

5期目となる今年度の募集は5月末に終了。また、県はほかにも、IT関連事業に携わる県外在住者を対象に交通費や宿泊費などを補助する「ときどきナガノ」など、ユニークな制度を数多く導入している。

「おためしナガノ」に参加したメンバーとクロスカントリーに出かけたときの様子。参加者同士の交流もある(右端が筒木さん)

 「ライスワーク」と「ライフラーク」

さて、「おためしナガノ」を終えた筒木さんは今、長野と東京を行き来する2拠点生活を満喫しているようだ。

住まいの拠点は安曇野市の実家に置き、そこから車で30分ほどかけて松本市にあるコワーキングスペースに“出勤”し、東京の企業などから請け負うWEBメディアやSNSの運用・マーケティング業務をリモートワークでこなしている。東京には隔週ペースで出向いており、友人とのルームシェアも継続中だ。

「今はこのバランスが、とても心地がいいですね」。筒木さんの表情は、生き生きとしている。

「松本のコワーキングスペースでは、ふと窓に目を向ければ緑が見えて、爽やかな風を感じられます。渋谷のWEBコンテンツ会社に勤めていたときは30階の高層ビルに閉じこもり、空調の効いた部屋でずっと過ごしてました。だから今の環境が、本当に尊く感じるんです。一方で、長野はゆっくりのんびりしているので、感覚が鈍ってしまいそうな心配もあります。その鮮度を高めるために、東京に行くことも私にとっては大事なことなんです」

松本市のコワーキングスペース「SWEET WORK」(左が筒木さん)

長野で過ごす時間が増えるにつれ、自然と仕事の量や質にも変化が見え始めた。独立当初はほぼ東京の企業から仕事を請けていたが、今は県内の仕事も少しずつ増えてきている。県や市町村のプロモーション業務がその1つだ。また新たな試みとして、フリーランサーが集まって情報交換する「信州フリーランスMeetup」を松本市のコワーキングスペースで主催するようにもなった。

「まちの人たちと毎日顔合わせるようになると、次第に『コワーキングスペースが賑やかになってほしい』『まちの役に立ちたい』という気持ちが湧いてきたんです。長野ではフリーランスの知名度がまだまだ低いので、そのコミュニティをつくりながら、同時に地域に貢献できれば。そんな思いでイベントを立ち上げました」

「信州フリーランスMeetup」には県内のフリーランサーらが参加している。

筒木さんが今感じている2拠点生活の心地よさは、「ライスワーク」と「ライフワーク」、つまり「生活費を稼ぐための仕事」と「趣味や関心事の延長線上にある仕事」のバランスのよさにもつながっているようだ。

筒木さんにとっての「ライフワーク」は、学生時代からずっと続けてきたボランティアやNPOでの活動。現在は安定的な収入を得るための「ライスワーク」のほかに、以前所属していたNPO法人国際ボランティア学生協会(IVUSA)で引き続きPR業務を請け負っている。筒木さんにとっては「どっちも大事にしていきたいこと」なのだ。

(photo by. 飯本貴子)

「“田舎か東京か”ではなく、“田舎も東京も”。フリーランスであるかどうかではなく、自分にとってどんな環境で働くことが理想なのか。自ら自己決定権をもって働くことが、大事だと思うんです。少なくとも今は、この暮らしが私にとっての幸せ。だから、ひとまずこの生活を続けていくつもりです」

変わらず自然体で、明日からも“今”を生きていく。 

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▼「おためしナガノ」 https://otameshinagano.com/

▼「ときどきナガノ」 https://tokidoki.otameshinagano.com/

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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