中退、起業、シングルマザー…“出会い”が変えた私の人生。大分に帰ってきた今、思うこと

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専門学校中退、フリーター、起業、シングルマザー。波乱万丈の人生に見えるかもしれないが、本人は意に介さない。自分の思いに忠実に、一歩ずつ、選択を重ねてきた。東京や福岡での生活を経て、地元・大分市でWEB系システム開発会社「モアモスト」を経営する河野忍(こうのしのぶ)さん。エンジニアを中心に15人ほどの社員を抱えるまでに成長し、現在はペット関連メディアを運営する株式会社ペットリボンの事業にも本格的に着手。将来は「村長になりたい」とも。彼女のこれまでの道のりと、今後の構想を聞いた。

「ミクシィ」に突如寄せられた、東京のITベンチャーからの誘い

「なんか、やばいのがきたぞ」。モアモストが2012年、大分市内で事務所の開設パーティーを開いた際、周囲に波風が立った。当時、大分県内への企業立地といえば、製造業をはじめとする大手企業が支店や工場を構えるケースが主流だった。20代の若い女性が率いるITベンチャーと聞いて、驚く人が少なくなかったのだという。「それはパーティーが終わった後に聞いて、知ったことなんですけどね」。河野さんは笑って話す。

なぜ、大分でITベンチャーを始めたのか。そこに行き着くまでには、多難な道のりがあった。

「いい大学を出て、いい会社に入れば給料も増えて、幸せな老後が待っている。そんな未来があるとは思えない、まさに中二病だったんです」。河野さんは、大分で過ごした思春期の頃の心境をそう振り返る。

かといって、大きな野望や目標があったわけではない。「手に職を」と商業高校に進学し、その後は大学には進学せず、福岡市内の美容専門学校に入学した。しかし途中で辞め、そのまま福岡にとどまり、昼はラーメン屋、夜は飲食店で働いた。生活に困窮することはなかったが、ふと将来への不安が襲ってきた。「この生活はずっと続けられない。でも、学歴があるわけでもないし、どうしたらまともになれるか悩んだ」という。

モアモストを立ち上げた河野忍さん(取締役会長)

道が開けたきっかけは、当時流行していた会員制交流サイト「mixi(ミクシィ)」だった。プロフィール欄に高校で学んだ「簿記やエクセル(Excel)が得意」などと記入していたところ、それが東京にあるITベンチャーの役員の目に止まり、入社の誘いを受けた。「正社員だと言われたので、他の条件は何も聞かずに『行きます』と答えました」と、迷わず入社を決めた。

その会社は、SEOサービスを手がけるウィルゲート。今でこそ急成長を遂げたが、河野さんが入社した当時はちょうど創業期で、スタッフは18歳の社長と役員、河野さんを入れた計4人。絵に描いたようなベンチャーの現場で働くことになった。

与えられた仕事は経理だったが、顧客からの問い合わせに対応しているうちに、SEOなどの専門知識が自然と身についた。次第に「エンジニアになりたい」との思いが芽生え、その後東京や福岡で複数のIT・WEB系企業を渡り歩いた。経験豊富というわけではなかったが、先輩の指導や独学で知識をつけたという。WEBマーケティングからコーディング、プログラミング、WEBデザイン、システム開発まで、一通りの仕事を経験した。

そして2011年秋、25歳のときに福岡でモアモストを立ち上げた。起業の経緯について、河野さんは「いつのまにか会社をつくっていた」とあっさり話す。経験も資金も十分だったわけではない。では、何が後押ししたのか。それもまた、ある人との偶然の出会いが、事態を大きく動かしたのだった。

家入一真さんに出会い、忘れていたことを思い出した

起業の道を照らすきっかけを与えてくれた人。それが、起業家の家入一真さんだった。河野さんは当時、福岡のIT企業に勤務していたが、そのときの社外取締役を家入さんが務めていた。

「彼の後にくっついて、東京で数カ月過ごしました。六本木に『awabar(アワバー)』という立ち飲みのバーがあるんですが、ワンコインで飲めるので500円を握りしめ、毎日通ってましたね。そこには、有名な起業家や起業を目指す同世代の人たちがたくさんいました。『こんなにキラキラした世界があるんだ』と彼らに触発され、忘れていたことを思い出したんです」

忘れていたことーー。当時の河野さんの口癖は、「仕方がない」だった。会社員生活を送る中で、気がつけば同僚と居酒屋で上司の愚痴をこぼす。そんな日々を過ごしていたという。家入さんや彼を通じて出会った人たちに背中を押され、思い切って会社を立ち上げることにした。

そして、モアモストは今、東京など主に都心の企業を相手にWEBサイトの制作やWEB系システム開発・保守・運用の受託開発をメインに手がけている。創業当時はニアショア開発の動きが加速し始めた時期だったこともあり、受託案件は順調に増えていったという。

WEBサイトの制作など、受託開発の案件は増えている。

そうした中、創業翌年の2012年、今度は福岡から地元・大分へ会社を移転する決断を下す。きっかけは、当時福岡でフィンテック事業を手がけるITベンチャー・イジゲンを率いていた社長と「大分に帰ろう」と意気投合したことだった。実は、もともと河野さん自身はUターン願望が強かったが、IT系の求人が少ないという理由で福岡で暮らしていた。イジゲンの社長も同じ大分出身で、大分には勤めたいWEB系システム会社がなかったという理由で福岡にとどまっていたという。

そうして大分に移転したモアモストは創業8年目に入った現在、20〜30代を中心に社員は15人ほどにまで増えた。経験豊富な技術者もいるが、地元出身の未経験者を多く採用してきた。ITに興味はあっても、大分では未経験者の受け皿がなかなかない。それは、河野さん自身が過去に味わったことでもある。そんな未経験者が徐々に成長し、会社を支える大切なメンバーになっている。

社員は地元出身者を中心に15人ほどに。未経験者もしっかり成長している(左が河野さん)

大分を“IT県”にしたい。関連企業の協業も

今、大分県内では少しずつITの動きが盛り上がっている。河野さんが帰ってきた頃と比べると、地元出身者や移住者による起業が増え、それに伴ってIT業界で働く選択肢も随分と広がっているという。県内に拠点を置くIT・WEB関連企業同士が手を組んで、ITテクノロジーによって地域を変えようという試みも動き出している。

その1つが、「OITA CREATIVE ACADEMY」(おおいたクリエイティブアカデミー)だ。これは、モアモストやイジゲンなど県内の複数のITベンチャーが共同で設立したNPO法人が運営。県内でクリエイティブな人材を育成することを目的に、協賛各社の社員らが講師となり、WEBアプリやデザイン制作などをテーマに講義を行う私塾だ。

「OITA CREATIVE ACADEMY」で講義を受ける地元の若い人たち。

河野さんが目指すのは、「大分はITに強いから、ボール(仕事)を投げれば返ってくる」という雰囲気や土壌をつくり上げることだという。まず目指すモデルは、福岡だ。5年ほど福岡で働いた河野さんは、ITコミュニティの盛り上がりを間近で見てきた。

「例えばシステム開発の案件が舞い降りてきたときに、デザイン、コーディング、フロントエンド、システム開発、サーバー管理など、それぞれ得意な会社や人につなげて、効率的に、いいものをつくる。そういうコミュニティが福岡にはあります。そんな状態を、大分にもつくりたいんです。大分県のIT系企業を1つの大きな会社に見立て、得意な部門(会社)に振り分けるようなイメージです」

モアモストが進出してきた頃と比べると、地方の位置付けや役割は随分と変わった。以前のように安さを求めて開発を依頼されるケースは減り、今は都心では足りない人材を同等の対価で補う。そうした流れが顕著になってきている。ただ、ITコミュニティの広がりという点で「大分は福岡の5年後を追っている」という。

それでも、そんな民間の動きに触発されるかのように、大分県では行政も協力的だ。サテライトオフィスの誘致やIT人材の交流、また県内外の企業が連携し、IoTの最新技術を用いたプロジェクトを生み出す「おおいたIoTプロジェクト推進事業」など、関連施策を充実させている。大分といえば別府をはじめとする温泉街として全国的に知られるが、“ITに強い町”として認知される日も、そう遠くないのかもしれない。

モアモストのオフィスでは、関係者や地域の人たちが集まって交流も。

「不安」に耐えられるか、「不満」に耐えられるか

「東京で同じことをしてても、例えばこんな風に取材を受けることもなかったでしょうね。人材が少ない環境だからこそ、事業や活動の選択肢が広がったと思います」

河野さんは大分に戻ってきた今、そんなことを感じている。子育ても同様だろう。河野さんは、もうすぐ2歳になる息子をもつシングルマザーだ。会社経営と育児の両立は容易くないだろうが、両親や周囲の友人などに支えられ、息子はすくすく育っている。

息子はもうすぐ2歳に。仕事と育児、両方とも全力投球だ。

そんな河野さんが今、最も力を入れていることがある。ペットが好きな人も、そうでない人も暮らしやすい環境をつくるために立ち上げた、ペットの関連情報を発信するメディア「ペットリボン」だ。創業当初から事業化を考えていたもので、2016年から始めたが「これまではシングルマザーと仕事の二足のわらじで必死でしたが、少し落ち着いたから」と本腰を入れるという。この事業はベンチャー・中小企業の新規事業を対象にした県の「湯けむりアクセラレーションプログラム」(通称:YAP・ヤップ)にも採用された。「大分をペットに理解のある先進県にしたい」と意気込む。

ベットメディア「ペットリボン」。これから成長軌道に乗せていく。

さらにもう1つ、壮大な目標がある。県内唯一の村である、離島の姫島村で村長になることを目指しているというのだ。突拍子もない考えに思うかもしれないが、どうやらそうではない。

姫島は河野さんの母の出身地で、河野さん自身も幼少期に長く過ごした場所だ。人口減少や高齢化が著しく進む一方で、海山に囲まれた広大な自然や、食文化などに恵まれている。そこに、いろんな可能性があると考えている。ITをはじめとする産業やビジネスをつくったり、自然を生かした先進的な学校教育を持ち込んだりと、頭の中で具体的なプランを思い描いている。決して、単なる夢で終わらせるつもりはない。

「不安」に耐えられるか、「不満」に耐えられるか。河野さんは、「起業に向いている人はどんな人か」と尋ねられると、よくこう答えているという。「『不安』に耐えられる人が起業家や社長、個人事業主。逆に『不安』には耐えられず、『不満』は我慢できる人が会社員。そういう印象があります。どっちがいいとかではなく、役割の問題ですね。私は『不満』には耐えられませんが、『不安』には耐えられるんです」

天真爛漫な性格ゆえに、何事も「河野さんなら大丈夫でしょ」なんて言葉をかけられることは少なくない。「ペットリボン」を成長軌道に乗せていこうという今、河野さんは「毎晩、胃がキリキリする」ほど内心では大きな不安を抱えている。でも、その不安に向き合い、壁を乗り越える覚悟だ。今までもそうだったように、これからも「やりたいことをどうやったら叶えられるか。それしか考えていません」。一直線に、先を見据える。

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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