“フリーランスを目指す町”に、若い移住者が集まっている。東京湾に面し、海山に囲まれた観光地として知られる千葉県富津市の金谷(かなや)地区。近年は若い移住者が増え、活気が生まれている。必ずしも定住を求めるのではなく、”スキルを磨く時間””休息できる場所”としての居心地のよさが人気のようだ。町のキーマンや移住者のもとを訪ねた。
週3日勤務で月収10万、家賃・光熱水費は無料
都心から電車と高速バスを乗り継ぎ約2時間。JR浜金谷駅を降りると、ほのかに磯の香りが漂う。名所の鋸山(のこぎりやま)も雄大だ。そこから細い路地を5分ほど歩いた先に、移住した若者たちが集まる場所はあった。
コミュニティスペース「まるも」。ここでは日々、フリーランスのWEBデザイナーやブロガー、プログラマー、ライターたちが、仕事や勉強、情報交換をしたりと思い思いの時間を過ごしている。「まるも」のオーナーが中心となって開催するイベントや勉強会も盛況だ。「田舎フリーランス養成講座」もその1つで、現地に1カ月間滞在し、WEBサイト制作やプログラミング、ライティングのスキルなどを学ぶプログラムだ。他にも、金谷を知ってもらうための交流会などを毎週のように開催している。
「まるも」が2015年にオープンして以降、こうした取り組みはネットや口コミで徐々に広がり、各地から移住者が訪れるサイクルが生まれている。20代を中心に同世代が数多くいることも、コミュニティの輪が広がっている理由の1つだろう。ここ数年の移住者は、約40人に上る。人口約1500人の町からすれば、インパクトは決して小さくない。
そうした中、昨年から新たに「お試し移住プログラム」が動き出した。これは、地元の商業施設で週3日勤務することを条件に月収10万円を支給し、家賃と水道光熱費、コミュニティスペース「まるも」の利用料を無料にする枠組みだ。自身も移住者で、シェアハウスを運営するなどしている発案者の滝田一馬さんは、「移住するにあたっては『コミュニティ』『仕事』『住まい』が大きなハードルになる。それらをパッケージで提供しようと考えた」と話す。
仮に金谷に住みながらフリーランスの道を目指すにしても、軌道に乗るまでの生活費をどう稼ぐかが課題になる。かといって、東京などで週5日フルに働くような生活では、独立に必要なスキルを磨く時間は限られがちだ。家賃をはじめ生活コストも高い。一方、金谷の商業施設は観光客が多く訪れる土日を中心に、人手不足に悩んでいた。
滝田さんはそうしたニーズを汲み取り、商業施設と「まるも」とともに行政の補助金などに頼らないプログラムを練り上げたという。滝田さん自身も、運営するシェアハウスを無料で貸し出す。プログラムの参加者は地元企業で働く日を除いた4日間を、「まるも」を利用するなどして自身のスキルアップに費やせることになる。プログラムは昨年の運用開始から約1年を経た現在、20代を中心に10人ほどの移住者が利用しているという。
誰にでも開かれた”第2の実家”
「僕が移住した3年前に、今の盛り上がりは想像できなかった」と話す滝田さん。そもそも、滝田さん自身が金谷に移住したのはなぜだったのか。それは、大学在学中に味わった”忘れられない体験”にあった。
1989年、東京都生まれ。東京農業大学に在学中、サークルの農業体験で初めて金谷を訪れた。青い空と広大な自然。住民からは、拒絶されるわけでもなく、過度にもてなされるわけでもない。その自然な距離感が心地よく、一瞬で「はまってしまった」という。それ以来、毎週のように週末は金谷で畑作業を楽しんだ。
東京本社の大手IT企業に就職してからも、そんな”週末田舎暮らし”は続いた。会社に不満があったわけではない。むしろ仕事は楽しかったし、在宅勤務やリモートワークをいち早く導入するなど、柔軟な働き方で表彰されるような会社だった。
一方で、社外に目を転じれば「都会で疲弊している人が多い」と感じていた。地方移住や2拠点生活の流れが徐々にできつつあるといっても、きっかけがないとなかなか踏み出しづらい。そんなことを考える中で、「田舎暮らしのライフスタイルを知ってもらうために、誰でも気軽に田舎にアクセスできる環境や受け皿をつくろう」と、2年で退職を決断した。
2015年春、1年間の住み込み農業研修を終えて金谷に移住。地元の商業施設で働きながら暮らしに慣れ、次第に「週末農業サークル」やまちづくり団体を立ち上げるなど活動の幅を広げた。シェアハウス「炊きた亭」を始めたのは昨年だ。現在は2棟を移住者に貸し出している。
滝田さんは金谷を「自分を見つめ直し、次の一歩を踏み出すための準備ができる場所」と表現する。それは必ずしも、フリーランス志望者だけではない。移住者の3割ほどは、都会の生活に疲弊し「一度落ち着いて人生を見つめ直したい」と休息を目的にしている人たちだという。この”誰にでも開かれている”という敷居の低さが、金谷の魅力なのだろう。
滝田さんは「おそらく移住者の中に、ここに骨をうずめようと考えている人はいないはず。ここをスキルアップや休息の拠点にして、いろんな分野や場所にチャレンジしていく。疲れたら、また戻ってくる。そういう”第2の実家”のような場所だからこそ、気軽に来やすいのだろう」と話す。
カナダで挫折。WEBデザイナーが見出した希望
金谷をそんな”中継地点”として、昨年からWEBサイトデザインなどの技術を磨いているのが稲本達(とおる)さんだ。カナダの会社にWEBデザイナーとして勤務するなど、異色の経歴をもつ。ただ、不運が重なり帰国し、その後たどり着いたのが金谷だった。
静岡県浜松市に生まれた稲本さんは、早稲田大学卒業後に都内のIT系企業に入社。3年間システムエンジニア(SE)として働いた後、単身カナダへ渡った。学生時代に国際交流のサークルに参加していたこともあり、もともと海外への関心は高かった。また、クリエイティブな仕事にも興味があったという。カナダはビザが取得しやすく、中心都市・バンクーバーには日本人留学生も多くいる。思い切って踏み出すことにした。
まずはバンクーバーにあるWEBデザインの専門学校に1年間通い、スキルを身につけた。最初の勤め先は、ベンチャー系のメディア関連企業。そこでブログメディアのデザインなどを担当した。「学校を出たばかりで大変だったが、充実感があった」という。ただ、次第に経営者と折り合いがつかなくなり、新たにWEBデザインの制作会社に就職した。
「仕事はずっと大変で、息つく暇もなく突っ走ってきた。2社目でも新しいことを覚えなくてはならないし、次第に精神的に疲れ始めてしまった」。稲本さんは、当時の状況をこう振り返る。悪い流れは断ち切れず、ほどなくして運動中にアキレス腱を断裂する惨事に見舞われる。周囲の仲間は「ここが踏ん張りどころ」と背中を押してくれたが、「心身ともに疲弊し、仕事のパフォーマンスも落ちてきて、遂に踏ん張る気力がなくなってしまった」
帰国後は実家に帰り、半年ほど治療期間に充てた。次のステップを考えているときに浮かんだのが、「フリーランスもいいな」という思いだった。ネットで調べると、金谷で開催されている「田舎フリーランス養成講座」に目が止まった。参加すると、同世代の仲間たちが生き生きと暮らしている。「いい雰囲気だった。”ただの田舎”ではなく、”移住者のコミュニティ”があるのが大きかった。フリーランスだと最初に仕事をもらうのが大変だが、同じような仲間と情報交換できる。フリーランスで独立するための足掛りをつかみやすい環境だった」
移住したのは昨年4月。現在はシェアハウスに住みながら、WEBサイトのデザインなどを個人で請け負いながら生活している。この1年で心身ともに随分とリフレッシュできたといい、いよいよアクセル全開で仕事に没頭したいと考えているところだ。目標の1つは、日本の伝統文化などを発信する英語版サイトをつくること。カナダ時代に日本の魅力があまり知られていない状況を知り、「日本の、特に地方のよさを伝えたい」と考えていた。ここ金谷から、その夢への道を切り拓いていくつもりだ。
都会で働くビジネスマンもターゲットに
「今後はもっと都会で働くビジネスマン、特に30〜40代のミドル層へのアプローチを強化していきたい」。こう話す滝田さんの活動も、ここにきて新たな局面に入りつつある。
「誤解を恐れずに言えば、僕の最大の関心事は移住者を増やすことでも、金谷を盛り上げることでもない。それ以上に、都会で疲弊しているビジネスマンを癒したい。田舎にアクセスしやすい環境を整え、よさを知ってもらうこと。その先に、田舎とつながるライフスタイルが広がることを目指している」
現在、新たなプログラムの設計準備を進めている。具体的には、都会のビジネスマンがもつWEBマーケティングなどのスキルを、金谷周辺地域の中小企業で生かしてもらうような仕組みを考えている。例えば、週末は金谷に来て地元企業を手伝いながら、農業体験をしたりと息抜きする。地元企業の経営課題の解決と、ビジネスマンのリフレッシュ。これをマッチングさせようという仕掛けだ。
その拠点として、古民家を改装し”週末田舎の隠れ家”をコンセプトにしたスペースをつくっているという。副業など働き方の選択肢はこれからますます広がる。そんな追い風の中で、「一番やりたかったことがいよいよ動き出す」と力を込める。
シフトローカルではこれまでも、金谷を含む南房総エリアで移住者や2拠点生活を送る人たちを取材してきた。都心からのアクセスや温暖な気候、海山に囲まれた自然、住民のオープンマインド。それらが人々を惹きつけているようだ。金谷もまた、若者が自分を見つめ直し、次なる場所へ旅立つ中継地点として。都会のビジネスマンが一時的に疲れを癒すオアシスとして。これからも新たなムーブメントを湧き起こしていくことだろう。