「移住」と聞くと、仕事も友人も手放す覚悟と大胆さが必要ーー。そんな風に思われがちだが、行き先が東京近郊の”適度な田舎町”だったらどうだろうか。東京駅や新宿駅から高速バスで約1時間半、千葉県の房総半島の先にある南房総市。海と山に囲まれた長閑な場所で暮らしながら、東京との2拠点ワークを楽しむ人がいる。WEBディレクションやシェアハウス運営などをしている永森昌志さんだ。生まれ育った東京で長く広告業界などで働いていたが、ある時期から南房総に拠点を移し、東京の仕事を続けながら市の「公認プロモーター」としても活躍する。都市と地方をリズミカルに行き来する生活はーー
きっかけは小さなワンルームマンション
朝8時、海と山に囲まれた場所にひっそりと建つ古民家で、永森さんの1日は始まる。パソコンを開くと、そのまま仕事モードに。空腹を感じはじめたところで、今度は腹ごしらえだ。再びパソコン画面に向き合う。仕事が忙しくなければ、畑作業や自宅のDIY作業に集中することも。日が暮れ始めたら、薪で風呂を沸かす準備が始まる。現代的なリモートワークと原始的な生活が入り混じった、独特な光景だ。
永森さんは、東京都武蔵野市に生まれ育った。大学卒業後は広告会社に就職。退職後に一般社団法人APバンクがコンセプトプロデュースする「kurkku」(クルック)に参画し、WEBデザインやプロモーションなどに従事。その後独立し、WEBディレクターとして活躍する傍ら、東京・新宿にある会員制シェアオフィス「HAPON新宿」の運営やブランディングなども手がけている。
南房総市との縁は、10年以上前に遡る。まだ会社員だった頃、「東京(の喧騒)からワープして、静かにリフレッシュできる時間を」と思い立ち、小さなワンルームマンションを借りたのがきっかけだった。それから週末は南房総で過ごす2拠点生活を送るようになった。ただ、次第に居心地のよさを感じはじめる。
転機の1つになったのは、南房総千倉で友人と一軒家を借りて、シェアハウスをしたことだった。滞在時間が増え、田んぼのシェアオーナー制に参加するなど南房総との結びつきを強めていったという。新宿のシェアオフィス「HAPON」は、そのときのシェアハウスメンバーと立ち上げた。南房総でのシェア経験をビジネスに生かし、人と人が有機的につながる空間をつくれないか。そんな思いからだったという。
その頃はすでに独立していた。そんなときに迎えた東京にある拠点の契約更新。「東京に家がなくても、大丈夫なんじゃないか」。慣れ親しんだ住処を手放し、いよいよ本格的に南房総を拠点とする生活が始まった。
WEB・シェアオフィス・行政PRの3本柱
「東京に来るのは多くて週1回、少ないときは月に2回くらいのペースですね」。今、永森さんは多くの時間を南房総で過ごしている。
仕事は従来から続けているWEBサイト制作やデザイン関係と、HAPONの業務が中心だ。東京では主にHAPONの定例会議やWEB関連のクライアントとの打ち合わせなどに費やす。HAPONがあるためデスクワークの場所に困ることはなく、近所に安価なホテルもある。不便は全く感じていないという。
移動時間を含めたスケジュール管理は重要な仕事の1つだ。「Googleカレンダーを見る時間が増えましたね。忙しいというよりは、いつどこに行って誰と会うか。仕事以外でも、興味のある展示会に何時になら行けるか。パズルのようにはめ込んでいく作業は、けっこう楽しいですよ」
そんな永森さんに、新たな肩書きが加わった。南房総市公認プロモーターだ。南房総で顔が知られるようになると、市から移住・2拠点体験ツアーのコーディネーションやお試しサテライトオフィス事業のプロモーション業務などを依頼されるようになったのだ。
「新しい仕事は刺激的ですし、モチベーションも上がります。ただ、ツアーコーディネーションなどは時限的な要素もあるので、WEB関係の仕事との合わせ技で(収入を)安定させるのが理想的ですね」
プライベートでも新たなアイデアを実現させた。通称、シェア里山プロジェクト。築数100年の古民家を再活用した「ヤマナハウス」を拠点に、DIY・畑作業・裏山手入れなどの里山暮らしをシェアするというものだ。週末になると都心から友人や知人が集まり、地元の人も交えて楽しいひとときを過ごす。つい最近も、タイ式の高床式住居を竹で建てるワークショップを開催した。
「ここに集まる人は、職業も年齢もバラバラです。東京は圧倒的に人口が多いけど、実は知り合う人は比較的近い属性の人が多い気がするんです。ここには、例えば”チェンソー使いの達人”がいたりする。これまで出会ったことのないような人と知り合える、多様性があります。これは新鮮で、大きな発見でした」
都市と地方。”二項対立”から”デュアル”へ
それにしても、永森さんはなぜここまで南房総に惹きつけられたのだろうか。キーワードの1つは、”適度な利便性”のようだ。
「ひと通り、全部揃ってるんですよね。海と山の自然を味わえる一方で、地方都市の館山市も近い。東京にもバスで1時間半ほどで行けます。自宅は里山にある古民家だけど、スーパーやコンビニで惣菜を買って食べたりと、東京の1人暮らしと変わらない時間を過ごすことも少なくありません。この絶妙なバランスが、僕にはフィットしてるんです」
永森さんは、そんな生活を「デュアル」(2重、2つの意味)と表現する。「僕は東京で生まれ、ファミコン全盛期の子ども時代を過ごしました。現代的な価値観が、体にインストールされてるんです。これをゼロに解除するのは、なかなか難しいですよ。都会と地方はどこか二項対立で語られがちですが、両方、つまり”デュアル”を楽しめればいいと思うんです」
運命的な出会いが舞い降りて、一足飛びに遠方へ移住する場合もあれば、永森さんのように東京近郊で、ゆっくり時間をかけながら軸足を徐々に移していくケースもある。「移住」の意味合いは、これからどんどん多様化していくだろう。永森さんもまた、仕事や生活の幅をさらに広げていくに違いない。