シェアオフィスやコワーキングスペース、在宅など「働く場所」が多様化している。都心に本社を置く企業が地方に構えるサテライトオフィスも、近年はそうした動きと関連して注目されている。「めがねのまち」として知られる福井県鯖江市は、オフィス誘致に力を入れる自治体の1つだ。市は6月、都内でサテライトオフィスに関するセミナーを開催した。セミナーを通して、鯖江のサテライトオフィスの誘致事情や進出した企業の狙いを探る。
メガネ、漆器、繊維だけではない。動き出した「ITのまちづくり」
「人口が増えており、今年4月に市制史上最高を記録した」。鯖江市の職員、酒井智行さん(商工政策課商工振興グループ課長補佐)はそう口にする。市の人口は69,345人(今年4月1日時点)。地方都市にとって新学期が始まる4月は、人口が大きく減少しがちな時期だ。多くの自治体が人口減少や少子高齢化に頭を悩ます中、鯖江では”逆転現象”が起こったかたちだ。この”異例の事態”が、鯖江の盛り上がりを象徴しているのかもしれない。
鯖江市は、メガネ、漆器、繊維を三大地場産業とする「ものづくりのまち」として知られている。しかし、近年は女子高生がまちづくりに参加する「JK課」や、今年で11回目を迎える全国の学生を対象にした「地域活性化プランコンテスト」、また2010年に行政情報のオープンデータ化に取り組むなど先進的な仕掛けが目立つ。全国に先駆けて実施されたこうした取り組みが結実し、鯖江市の知名度と認知度は飛躍的に高まり、女性や若者が活躍する場としても注目を集めている。
そして現在、鯖江市が”第4の産業”として育て上げようとしているのが「ITによるまちづくり」である。「メガネとIT」をコンセプトにしたイベント「電脳メガネサミット」の開催や、2020年のプログラミング教育の義務教育化を見据え、市内の全小中学校でプログラミングクラブが発足するなど、IT人材の育成にも積極的だ。こうした革新的な取り組みは高い評価を受けており、経済誌「Forbes JAPAN」(2017年6月号)が選定する「日本のイノベーティブシティ」で全国4位にランクインするなどしている。
動き出したITによるまちづくりーー。その関連施策の1つに、サテライトオフィスの誘致事業がある。総務省の「お試しサテライトオフィスモデル事業」に採択され、昨年から都心の企業などを対象に空き家を解放し、短期滞在型の”お試しワーク”を募るなどしてきた。その結果、新たにIT関連企業4社がサテライトオフィスを設置。市は進出企業と協定を結んだり共同事業を展開するなど、新たな仕掛けに積極的だ。
東京本社のIT関連企業4社が進出
昨年以降、鯖江市に進出した企業は、あしたのチーム、SUI Products(スイ プロダクツ)、LIFULL FaM(ライフル ファム)、メンバーズエッジの4社。いずれも東京に本社を置いている。
進出第1号が、主にベンチャーや中小企業にクラウド型の人事評価制度サービスを展開している、あしたのチームだった。「鯖江ランド」と名付けたオフィスを昨年11月に開設。Uターン者を含めて3人の女性スタッフを地元で雇用し、顧客の問い合わせ業務や、本社・全国各地の営業社員が利用する資料作成などを手がけている。
SUI ProductsとLIFULL FaMは、ともにLIFULLのグループ会社で、今年3月に進出した。WEB制作会社のSUI Productsは、地元の若いクリエイター育成事業などを手がける。一方のLIFULL FaMは、母親の仕事と育児の両立支援が事業の柱で、母親のITスキルアップなどの取り組みを展開している。
そして、4月にはWEBアプリケーション開発などを手がけるメンバーズエッジが新たに加わった。同社には仙台市と北九州市にもオフィスがあり、場所にとらわれない柔軟な勤務環境の整備に熱心で、全国各地にサテライトオフィスを展開する構想を掲げている。
正社員の事務職は”買い手市場”
ところで、なぜ鯖江市はITやオープンデータによるまちづくりに着手したのか。酒井さんは、「メガネや漆器は伝統産業でもあるが”成熟産業”だ。製造業をはじめとする全体の求人倍率は高い一方で、事務職の求人は少ない傾向にある」と話し、これが雇用のミスマッチを引き起こしていると分析する。つまり、若者に人気の事務職の求人が少ないため、足元では人口が増加しているものの、長期的には若い世代の流出が加速しかねないとの危機感があった。
酒井さんは、「Uターンで戻ってきたくても、そういう職種がないから戻れない人は潜在的に多いはずだ。(IoTやAI、ロボット技術などを駆使した)第4次産業革命が進行している中で、地方においてIT人材を育成することが持続可能な地域づくりには必要だ。サテライトオフィスの誘致によりクリエイティブな仕事を増やし、若者や女性が住みたい、働きたいと思えるまちづくりを目指している」と話す。
一方、進出する企業にとってはどのようなメリットがあるのだろうか。市とともに今回のセミナーを主催したあしたのチームは、「人材採用と業務効率化」をメリットに挙げる。
執行役員マーケティング部長の鯨岡務さんは、「受注件数の増加に伴い、慢性的な人員不足にあった。特に都市部は圧倒的な売り手市場で、中でも正社員の事務職は採用コストがどんどん上昇している。ただ、目線を地方に移すと、正社員の事務職でいえば一転して”買い手市場”にある場所が少なくない」と、地方進出の選択肢が浮かんだ経緯を説明する。
同社が最初にサテライトオフィスを構えたのが、2013年に進出した徳島県三好市だった。現在は鯖江市と島根県松江市のほか、最近も山口県下関市と鹿児島県錦江町で調印式を行い、採用活動を実施している。拠点は計5つに拡大中だ。三好市や鯖江市を中心に当初の狙いに沿うように順調な成果を上げており、最近は「当初は想定していなかった」(鯨岡さん)と業務の幅が拡張。営業社員と顧客先の商談・ミーティングをテレビ会議でつなぎ、サテライトオフィスにいるスタッフが議事録を作成するなど、”遠隔の営業アシスタント”のような役割も担うようになっているという。
鯖江に進出したのは、支援制度やサポート体制が充実しており、福井市など人口の多い町とも隣接していることから採用面でもメリットがあると考えたそうだ。「何より、県や市の職員の方々の熱意と、”よそ者”を受け入れるオープンな市民性」(鯨岡さん)に惚れ込んだという。
4月からは、市の一部の職員を対象に自社の人事評価サービスを試験的に導入。さらに、市と連携して中学校で出前授業・セミナーを開くなど、若い世代に「地元で働きながらスキルアップできる場がある」(鯨岡さん)ことを啓蒙するような活動も行っている。
あしたのチームは7月以降、青森県弘前市、秋田県大館市に進出することも決定済みだ。鯨岡さんは「サテライトオフィスの先駆的企業になりたい」と、事業拡大に合わせて今後も積極的に地方オフィスを展開していく考えを示した。
”いつか戻りたい”人にどう情報を届けるか
この日のセミナーでは、東京の会場と、あしたのチームの鯖江、三好の両オフィスをテレビ会議で中継し、現地で働くスタッフの声を直接聞く時間も設けられた。
「幅広い業務任せてもらえること、地元にいながら本社や全国の拠点と連携して、都会と同じようなスピード感で働けることにやりがい感じている」。そう話すのは、鯖江ランドに勤務する女性スタッフだ。女性は、進学を機に県外に出て就職。「いずれ地元で働きたい」とハローワークで求人探していたところ、あしたのチームの求人を発見したという。「通勤は車で20分。都会のように、人混みの中を出勤することもないので快適」と笑顔で話す。
また、今は県外にいる地元の友人の間でも、「いつか戻りたい」と考えている人は少なくないそうだ。ただ、「都会と同じような水準で働けるような企業や求人があることを、知らない人が多いと思う」とし、うまく情報が行き届けば現役世代のUターンが期待できると指摘した。
セミナー終了後、鯖江市の酒井さんは「これから第2の波を起こしていきたい」と力を込めた。実際に進出した企業などからは「リフレッシュでき、発想が豊かになる」「人材が確保できた」などの声が挙がる一方で、「(オフィスの)開設コストがかかる」といった意見もあるという。そのため、市はオフィスの改修費を助成するなど様々な助成制度を用意。8月1〜2日にも、サテライトオフィスに関する視察ツアーを開催する予定だ。”第2の波”として、酒井さんは「まずは誘致企業を10社まで増やしたい」と目標を語る。
メガネ、漆器、繊維をはじめ、長く市の歴史を支えてきたものづくり産業に、ITやオープンデータという新しいエッセンスが加わることで、どんな化学反応が起こるのか。今後も鯖江から目が離せそうにない。
◆8月1〜2日の「鯖江サテライト現地視察ツアー」の詳細は下記から。
https://sabae2018080102-ashita.peatix.com/?lang=ja