東京を離れても、仕事は減らない。地元・青森で起業したエンジニアはどんな準備をしたのか

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地元には帰りたいけど、仕事がない。独立・起業しても、果たしてどれほど仕事があるだろうか。Uターンや移住を阻む課題の1つとして、そんな不安の声をよく耳にする。WEBサイトのシステム開発や制作などを手がける株式会社ビーコーズ(以下ビーコーズ、青森県十和田市) の代表・村岡将利(しょうり)さんは、当初からUターンを想定して東京で技術とネットワークを培い、その後地元で起業した。経営は安定しており、コミュニティスペースの運営など新たな事業にも乗り出そうとしている。村岡さんは、どんな道を辿ってきたのかーー。

短過ぎず、長過ぎない。適度な準備期間

「あの2年間が重要でした」。村岡さんは、東京でフリーランスのシステムエンジニアをしていた当時を振り返り、こう話す。

地元の青森県十和田市には、高校卒業まで暮らしていた。その後、東京にある情報通信系の大学に進学し、卒業後はITベンチャーとWEB制作会社に勤務。5年ほど経験を積んだ後、2014年に個人事業主として独立、東京で2年弱にわたってWEBサイトの企画・制作などを請け負った。Uターンし、ビーコーズを立ち上げたのは2016年。独立やUターンは当初から想定していたといい、そのために用意周到に準備を進めてきた。

特に、フリーランス時代の約2年間が大きかったという。「もともと地元に帰りたいと思っていましたが、なかなか仕事がありませんでした。だったら、技術職なので自分自身で仕事をつくれないかと考えました。ただ、いきなり地元で独立するのはリスクが大きい。まずは東京で、個人としての対外的な評価を知りたい。どこまでできるのか、実力を試そうと思ったんです」(村岡さん)

その2年ほどの間に収入の見通しも立ち、仕事も大半をリモートワークでこなせる感覚をつかんだ。またその頃、東京にある青森県出身者の会合やコミュニティにも顔を出し、地元の情報収集や人脈づくりも進めていた。県主催のIT系人材を対象にしたモニターツアーにも参加。現地に1週間ほど滞在し、リモートワークで仕事をした。手応えをつかみ、2016年にビーコーズを設立。中学時代の同級生で、東京でのフリーランス時代に結婚した妻と一緒にUターンした。

「独立、Uターンと慎重にやってきたのが結果的にはよかったですね。(Uターンまでの期間が)短過ぎると個人事業主としての評価や実力は測りづらかったでしょうし、逆に長過ぎると、結局帰らないということにもなりかねなかったと思います」(村岡さん)

市中心部には「十和田市現代美術館」があり、アートな空間が広がっている。

オフィスはこの美術館の近くにある。春は周辺に桜が咲き誇り、カラフルな街並みに。

取引先は東京が8割。”戻る理由”を応援してくれた

起業とUターンから約2年。仕事と経営は順調で、新たに地元出身のデザイナーとエンジニアが仲間に加わった。生活リズムにも、体が順応してきたという。

仕事はWEBサイトの企画・制作・デザインや、企業の業務改善システムの構築などを中心に手がけている。取引先は、東京と青森が8:2ほどの割合という。Uターンするにあたって、村岡さんが唯一、不安視していたのが東京でのフリーランス時代に世話になった取引先の反応だった。「『なぜ青森?』と仕事の関係者にはよく聞かれました。でも、胸を張ってしっかり理由と思いを伝えられるようにしていましたし、ちゃんと話すと応援してくれる人たちが多かったですね」というように、現在も当時の取引先と関係が続いているケースが多いという。

東京で独立した当初から、取引先には単に依頼された業務をこなすだけでなく、新たな提案や企画を行うことも意識してきた。これはフリーランスとして必要な要素であるとともに、将来的なUターンを見越して心がけてきたことでもである。クラウドソーシングが広がり、発注側にとって依頼対象の選択肢が増えている時代だ。せっかく培った関係を、Uターンが理由で手放さざるを得ないのはもったいない。だからこそ、「青森にいる僕をわざわざ選んでもらうには、何が必要か」(村岡さん)を常に念頭に置いてきた。

そんな取引先との日々のコミュニケーションは、チャットやスカイプ、電話などで十分、対応可能という。ただ、新たに取引を始めた企業などとは、数カ月に1度程度は東京に出張し、顔を合わす機会をつくっているそうだ。村岡さんの場合、既存の顧客企業から新たな取引先を紹介してもらえるケースも多いというが、決して頻繁ではなくとも”直接会う”時間を意識的に設けていることが影響しているのかもれない。

十和田市中心部に構えるオフィス内には、広々とした空間が広がる。

幼少期から見慣れていたはずの故郷の街並みや景色も、大人になってみると新鮮に映ることがあるそうだ。振り返ってみれば、広大な青森で過ごしていた高校時代までの移動手段は、主に自転車だった。でも、今は車で県内各地へ気軽に移動できる。フットワークが軽くなり、移動範囲が広がった。村岡さんは今、「もともと好きだった」が上京後は中断していた趣味の釣りを、妻と2人で楽しんでいるという。

「高校まではお酒を飲んだり、車を運転したりすることはできませんでしたが、今は行動範囲が広がり、新しい体験ができて楽しいですよ。東京にいたときは深夜2〜3時まで働くことも珍しくありませんでしたが、ここでは飲食店が閉まる時間も早いでし、僕らも早い時間に仕事を切り上げます。そのリズムに慣れてきて、時間にゆとりのある生活を送れるようになりましたね」(村岡さん)

Uターン後、趣味だった釣りを再開するなど、休日は車で海などに出かけることが増えたという。

人生相談の”塾”や町の”場づくり”も

村岡さんが描くビーコーズの姿は、IT関連の仕事だけにどどまらない。地元にとってどんな会社でありたいか。地域をどんな町にしたいか。そうした思いも、強く抱えている。

実は、Uターンと同時に個人事業主ではなく会社を立ち上げたのには、理由があった。「個人事業主で生計を立てるだけでは、地元に帰る理由としては薄い。僕は地元が好きでしたから、地域を盛り上げられるような取り組みができないか。そう思って、会社を立ち上げることにしました」(村岡さん)というのだ。

村岡さんが、以前から残念に思っていたことがある。自身が就職先を探していた際、地元にはWEB制作関連の働き口がほとんどなかった。WEBやITのスキルを学びたければ、東京や仙台に出るしかない。そうした状況を変えたい思いが、「村岡塾」の開講につながった。

一軒家を間借りしたビーコーズのオフィスに、地元の学生や社会人たちが集まり、村岡さんの話に耳を傾けている。プログラミングの技術などを指導するだけでなく、村岡さんのキャリアに興味をもつ人たちが、働き方や生き方の参考にしようと参加しているという。「いろいろと相談に乗ることで、将来の働き方や目標に向かってどう進めばいいか。一緒に考えて前へ進めるように、僕の経験を伝えるようにしています」(村岡さん)

「村岡塾」では地域の学生や社会人がオフィスを訪れ、プログラミング技術を学んだりしている。

さらにそこから一歩踏み出し、新たに”コミュニティスペース”の試験的な運営も始めた。オフィス近くの市中心部にある賃貸物件を改修し、電源やWiFi環境などを整備。コワーキングや勉強会のほか、住民たちが参加できるようなイベントなどに使うことを想定しているという。運営スタッフの地元雇用も考えているそうだ。

リノベーションしてつくったコミュニティスペース「second.」

「コミュニティになるようなこういう”場づくり”には、戻ってきた当初から興味がありました。地方は東京に比べ、土地の価格が圧倒的に安い。”仕事をするだけ”ではなくて、東京にいたらできないような”おもしろいこと”に挑戦できるのは、地方ならではのメリットでしょう」(村岡さん)

村岡さんが「地方は”横のつながり”がすごい」と話すように、Uターンして以来、地域づくりに関わるキーマンや地元事業者、さらには県内の若手経営者らとの人脈が一気に広がっているという。「一緒に何か企画しよう」。そんな風に意気投合することも少なくない。すでに村岡さん、そしてビーコーズとしても人生や事業の幅を広げているが、これはまだ序章に過ぎないのかもしれない。”ここでしかできない生き方”を、村岡さんはまだまだ追い求めていく。

現在は試験的な運用段階だが、コワーキングや勉強会、イベントでの活用を想定している。

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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