交際半年で奄美大島へ。大阪出身のカップルが夢見た理想の暮らし

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無我夢中で夢を追いかけた10代。都会でがむしゃらに働き続けた20代。やがて30代になり、離島で暮らしはじめる。南国の島・奄美大島(鹿児島県)に、そんな自由奔放な人生を送る1組のカップルがいる。ともに大阪府出身の富永寛之さん(32歳)と間瀬るみえさん(30歳)だ。富永さんはインターネット経由のクラウドソーシングなどでホームページ制作を手がけ、間瀬さんはネット記事の執筆などで生計を立てている。移住して半年以上経ったが、生活は想像以上に充実しているという。若くして都会を離れた理由、そして島での暮らしはーー

スーツケース1台。”ノープラン”で島に降り立つ

「スーツケース1台で、ノープランで島に乗り込みました。物件を見つけるのに約1週間、インターネット回線を引くのに1カ月半。最初はWiFi難民でしたよ」

富永さんが奄美大島に降り立ったのは昨年6月。単身で乗り込みまず始めたのが、物件探しだった。意気揚々と地元の不動産屋に乗り込んだが、”島外の移住者”であることが契約の壁になった。いきなり出鼻をくじかれた格好だが、移住者に協力的な不動産会社を発見。物件が見つかるまで、その会社が運営するゲストハウスに泊まって過ごした。1週間後、島の中心街である奄美市名瀬地区に目当ての物件が見つかり、すぐに契約した。間取りは1LDK、家賃は58,000円。近所にスーパーマーケットや飲食店が並ぶ、島内では最も賑やかな場所だ。

しかし、すぐに「次の関門」(富永さん)が立ちふさがった。インターネット回線を引くのに、1カ月半ほどかかるという。島に施工業者が少ないためだ。「ネットがないと仕事ができない」と面食らったが、徒歩1分の場所にWiFi完備のカフェを発見。事情を話すと、「ここを使って」と救いの声が。自宅のネット環境が整うまで、ほぼ毎日利用させてもらった。そんな富永さんから遅れること2カ月、移住の準備を済ませた間瀬さんも合流し、2人の島暮らしが本格的に始まった。

奄美大島で新たな生活をスタートさせた2人。

2人が住む奄美市名瀬は島の中心街。夏祭りも賑わう。

都会の派手な生活が精神的ストレスに

富永さんは地元・大阪の高校を卒業後、ニューヨークに4年間留学。帰国後は東京のオンラインゲーム会社に入社し、主に海外ゲームの国内販売をプロデュースする仕事に携わる。その後大阪の企業に転職し、アプリ開発やホームページ制作などに従事。ここでITスキルやWEBの知識を一通り身につけた。仕事は忙しく、その分会社の業績も順調に拡大。そんな階段を駆け上がるような日々が、当時は快適だったという。

一方の間瀬さんは、新卒で入社した通信系ベンチャー企業に長く勤めていた。自由な社風で居心地もよく、休暇は趣味の旅行を楽しむ充実した生活。小さい頃から習っていたダンスの腕前を生かし、地元のダンススクールで講師もしていた。

そんな2人が出会い、交際をスタートさせて半年も経たないタイミングだった。富永さんが、「独立して南の島に移住する」と打ち明けたのだった。

「マルチタスクでいろんな仕事をこなし、毎日忙しく、会社もすごく潤っていました。でもその分、毎日飲み歩き、派手にお金を使う。そんな生活サイクルに、精神的にストレスを感じるようになったんです。都会から離れて、自分のペースでゆっくり暮らしたい、と。以前から将来的には独立しようと考えてたんですが、ちょうどその頃、クラウドソーシングが注目され始めていました」(富永さん)

南国の島に移住して、クラウドソーシングをベースに生計を立てる。そんな人生プランを描く富永さんに、間瀬さんは驚いた。「最初は『えっ』と思いましたよ。でも私も、仕事は楽しかったけど少しマンネリも感じてきた頃でした。彼に振り回されてみるのもいいかな。そう思ったんです」

奄美大島を選んだのは、間瀬さんのアイデアだった。祖母が奄美群島の徳之島出身だったことから、間瀬さんは小さい頃、夏休みを島で過ごした経験がある。「そのとき見た壮大な自然の記憶が頭に残っていました」と間瀬さん。富永さんに提案し、調べてみるとちょうどその頃、関西空港と奄美大島を結ぶ格安航空便(LCC)が就航したばかりだった。様々な条件が揃い、行き先を奄美大島に絞ったのだという。

仕事はクラウドソーシングと口コミで

あれから半年以上が経過した今、2人は島暮らしを想像以上に楽しんでいるようだ。

例えば、仕事だ。富永さんは「クラウドワークス」と「ランサーズ」の2つのクラウドソーシングサイトに登録し、東京や大阪を中心に中小企業や飲食店などからホームページ制作を請け負っている。受注案件は順調に増えているという。そこには、富永さんなりの工夫があった。

「直接会って営業できるわけではないので、サイトに載せるプロフィールがとても大事です。まずは、能力・スキルを丁寧に書く。そのうえで、独立当初は制作実績が全くないので、できる限り安く受けて実績をつくりました。それを繰り返しているうちに、徐々に軌道に乗っていきましたね」(富永さん)

クラウドソーシングなどでWEBサイト制作を請け負う。収入は安定しているという。

今、クラウドソーシングによる制作案件が全体の仕事の5割を占める。残りの3割が口コミや紹介による島内の事業者からの依頼、2割が会社ホームページへの問い合わせだ。島内の仕事は、物件を探している最中に通い詰めたカフェ「NOMAD(ノマド)」のほか、ゲストハウスや居酒屋、ダンススクールなど業種は幅広い。島内ではITスキルに長けた人材は珍しく、口コミでどんどん広がっているという。

一方、間瀬さんはネット記事の執筆や居酒屋での接客、ダンススクールの講師などマルチな仕事をこなしている。記事は奄美市がフリーランスの移住者向けに開講しているライター講座に申し込み、基本的なライティング技術を学んだ。観光メディア「あまみっけ。」などで記事を書いている。居酒屋やダンススクールは、島の人の紹介などで見つけた仕事だ。

間瀬さんは観光メディアなどで記事を執筆。この日はヨガの体験レポートのための取材だ。

収入は半減も、月10万円を貯金に

ともに収入は半分程度に減ったが、それでも2人で毎月10万円程度を貯金に回している。富永さんはホームページ制作の単価を50,000円に設定。「相場より安く設定していますが、毎月最低3件ほど受ければ、十分生活できます。それよりも今は、あまり受注しすぎないことを意識しています。そもそも独立と移住の目的は、忙し過ぎず、ストレスを溜め込まずに自由に生活することでしたから」(富永さん)

そんな自由な生活を楽しむうえで、富永さんが大事にしているのは仕事とプライベートのバランスだ。幸い、島の人たちは2人を歓迎してくれ、地元コミュニティの輪の中にすんなり入れた。富永さんは同世代の仲間たちと地元のバスケットチームに所属し、週末はコートで汗を流している。「奄美の人はとても優しく、移住するには最高の場所です」と、すっかり奄美に溶け込んだ様子だ。

富永さんは島の仲間たちと週末、バスケットを楽しんでいる。

間瀬さんは、「都会にいると物欲を刺激され、ついつい”無駄なもの”まで買ってしまうけど、ここに来てからはモノや娯楽が少ない分、”本当に必要なもの”が自然に見えてきます。金銭感覚が変わりましたよ」と話す。”美食好きのOL”だった大阪時代とは打って変わって、今は食費は毎月3万円と決め、基本は自炊の毎日を送っている。

それでも、島ならではの”遊び”も満喫している。例えば、奄美大島南部にある加計呂麻島へのキャンプツアーがそうだ。奄美で知り合ったツアーガイドと一緒に、小型船で海と夕日が広がる絶景の”シークレットスポット”へ移動。テントを張って一夜を過ごすと、翌日はシュノーケリングなどでさらに海を満喫した。10月でも十分入れるほど気候は温暖で、海の透明度も抜群という。

加計呂麻島へのキャンプツアーでは、絶景広がる”シークレットエリア”へ

マングローブの原生林を川下り。島ならではの遊びを満喫している。

そんな2人に今後の計画を尋ねると、口を揃えて「あまり考えてませんね」とさらりと言ってのけた。気負わず、ゆっくりと。そんな自然なペースが、2人には心地いいのだ。

2人の制作実績や活動内容はこちら

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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