視力を失いかけて見つめ直した「働く」こと。行き着いたのは奄美大島だった

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「ありがっさまりょーた」「トートゥガナシ」。主に5つの島からなる鹿児島県の奄美群島(奄美大島、徳之島、与論島、喜界島、沖之永良部島)には、それぞれ異なる独自の文化が根付いている。方言もその1つで、冒頭の言葉は奄美大島と与論島の方言で「ありがとう」の意味だ。「島同士は距離が近いのに、これだけ方言が違う。その文化がいまだに残っているのがすごい」。そう話すのは、2016年1月に大阪から奄美大島に移住した田中良洋さんだ。当時30歳。遠路はるばる単身で乗り込んだのは、突然の病を機に人生を問い直したからだった。そして今、田中さんは新たな住処で仕事や暮らしを楽しんでいる。

左目が真っ白に。仕事の意味を問い直す

兵庫県に生まれ、学生時代まで関西で過ごした田中さんは2009年4月、就職を機に上京した。就職先は東京のITベンチャー企業。システムコンサルタントとして企業の基幹システムの保守業務を任され、終電帰りが当たり前の日々を過ごした。ただ、もともと独立志向が強く、2013年1月に退職。その後は個人事業主として、「サプライズを仕事にしたい」と当時流行っていたフラッシュボブの企画や結婚式の映像編集などを手がけるように。とはいえ、まだ駆け出しのフリーランスだ。生活が苦しいときは、前職の経験を生かしてIT関係の派遣社員などで食いつないだ。

独立して約2年。家族の事情などから大阪に拠点を移すことにした。心機一転、フリーランスとして仕事を充実させていこう。病はそんな矢先に発覚してしまった。

「突然、カーテンがかかったように左目の視界が真っ白になり、ほとんど何も見えなくなってしまったんです。そこからは、ただベッドに横になるだけの毎日でした。パソコンもスマホもろくに使えないので、仕事もできません。病院での検査結果は『原因不明』、医者からは『ストレスじゃない?』と。自由になりたくて独立したはずなのに、知らないうちにストレスを抱え込み、いつのまにか自分の体を蝕んでいたのかもしれませんね」

通院を続けること約2カ月。無事症状は改善されたが、この経験から田中さんは自分の人生を改めて見つめ直したという。「何のために仕事をしているのか」「自分にとって大切な物は何か」。そう考えたとき浮かんできたのは、「島に住みたい」。思えば、昔から自然に囲まれた場所が好きだったという。新たな一歩を踏み出そう。そう決意を固めた。

そんなときに目にしたのが、島での就労体験プログラム「島キャン」だった。「これは行くしかない」と申し込み、2016年2月から約1カ月半にわたって奄美群島の1つ、与論島で生活した。満点の星空、澄んだ海…そこには、思い描いていた自然と寄り添う暮らしがあった。その魅力に、一気に取り憑かれたという。

大阪に戻り、島暮らしへの次のステップを考えているときだった。「島キャン」の関係者から「奄美大島で予備校の仕事がある」と誘われ、その場で「行きます」と即答。両親や仕事仲間からは心配されたが、「最後に決めるのは自分」と思いを貫いた。そうして2017年1月、奄美大島での念願の島暮らしが始まった。

奄美群島には澄み切った海が広がる。そんな大自然に囲まれた暮らしこそ、求めていたものだった。

午前中にドローン撮影。取材を終えて、夜は予備校へ

今、田中さんは島の中心街でマンションを借りて生活している。ユニークなのは、予備校講師に限らない幅広い仕事内容だ。それらは、フリーランスの立場で請け負っている。

「週3日ほどの予備校の仕事のほかに、結婚式の撮影やドローンで撮った映像提供、地元観光メディアのライティング、グルメ情報サイトの撮影、さらに家庭教師やイベントの設営など…。当初の予定では島外から請け負う仕事をメインにするつもりだったんですが、だんだん島の人たちから仕事を頼まれるようになって、そのボリュームが増えてきました。1日のスケジュールは、例えば午前中にドローン撮影、午後に観光メディアの取材とライティング、夜から予備校。そんなイメージですね」

東京や大阪と比べると、案件ごとの単価は低い。ただ、田中さんは複数の仕事をこなすことで安定した収入を確保している。「地方には仕事がない」とよく言われるが、1つの仕事にとらわれない発想も地方暮らしでは必要なのかもしれない。

「人が少ない分、1人当たりのカバー範囲が広くなるんです。スポット的にお手伝いができる便利屋のようなポジションが求められているような気がします。いろいろやりたがりな自分にとっては、嬉しい環境だったなと思います」

仕事はドローン撮影をしたり(上)、観光メディアやグルメサイトのライティング・撮影をしたり(下)と実に多彩だ。

意外と都会な中心街。生活必需品は徒歩圏内で

「私が暮らしている島最大の市街地は、想像以上に都会ですよ」。田中さんがそう話すように、「島」と一口に言っても地区・集落によって生活環境は大きく異なるといい、田中さん自身も移住によって生活コストが一気に下がったわけではないそうだ。

「市街地にはイオン、コンビニ、ヤマダ電機、TSUTAYAなどがあり、自宅から徒歩圏内で生活に必要なある程度のものは揃えられます。マクドナルドやユニクロはないですが、『Amazon Prime』に加入していれば3〜4日で品物は届きます。ただその分、家賃は決して安いわけではなく、県内では鹿児島市に次いで2番目に高いエリアと言われています。少し離れた集落に行けば空き家も多いので、格安で借りられるケースはありますけどね」

一方で、海を隔てた島特有の事情もあるそうだ。輸送費がかさむため、スーパーに並ぶ商品は場合によっては都会以上に値段が高いこともある。また、船が欠航すると輸送が遅れるケースも。田中さんも、ネットで注文した名刺が必要な日に間に合わない苦い経験をしたことがあるという。

ただ、そんな思わぬトラブルも含めて、田中さんは充実した島暮らしを送っている。冒頭で説明したように、奄美群島にはそれぞれ固有の文化・風習が根付いている。方言のほかにも、例えば徳之島は闘牛が盛んな地域として有名で、正月には老若男女、島中が盛り上がるそうだ。

プライベートではマリンスポーツを楽しむ。知り合いの漁師に船に乗せてもらい、船上で釣ったばかりの魚を刺身にして食べることも。

将来的には観光ガイドやシェアハウスも

そんな田中さんは、ブログメディア「離島ぐらし」や写真共有アプリ「インスタグラム」で島の暮らしぶりを積極的に発信している。その思いを尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「自分が今、誰かの力になれるとしたら、それは自分がかつてそうだったように、都会の生活に息苦しさを感じている人に『こんな暮らしもあるよ』と伝えることだと思ったんです。そういう人たちの心のどこかに響くような発信ができれば嬉しいですね」

そして、田中さん自身の夢も膨らむ。「これからやってみたいことの1つが、観光ガイドです。島の自然や文化はもちろん、そこに暮らす人たちと交流できるようなガイドをしたい。それと、将来的には多拠点生活のきっかけになるようなコワーキングシェアハウスもつくってみたいですね。島の経済を考えると、都会から外貨を稼げる方がいいと思うので、今後は島外の仕事も増やしていきたいと思っています」

都会と地方の関係を表すときによく言われることがある。都会では月並みなビジネススキルでも、地方では重宝されやすい。田中さんはその利点を生かし、さらに仕事の幅を広げることで自身の存在価値を示している。今年1月で、移住からちょうど1年を迎えた。その挑戦は、まだまだ続く。

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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