移住は“永住”ではなく、“体験”なのかもしれない。江戸時代にできた宿場町を、ITで盛り上げる若手経営者

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長野県東御市にある海野宿(うんのじゅく)。江戸時代につくられた宿場町で、瓦屋根と木造の家々が連なる古い町並みは「日本の道100選」や重要伝統的建造物群保存地区にも選ばれている。ここが、今回の舞台だ。かつての賑わいが失われ、人通りが少なくなったこの場所に2017年、古民家を改装したコワーキングカフェがオープンした。運営するのは、東京のWEB制作会社La Terra(ラ・テラ)。同社は今夏、同県伊那市にも新たにコワーキングスペースやシェアハウスが一体になった複合施設を開設した。いったい何が起きているのか。代表の松本大地さんに聞いた。

人材派遣の営業から、WEB制作の経営へ

左右に古民家がずらりと並ぶ海野宿のメインストリート。鮮やかな青色の暖簾を掲げた、木造の古い建物が目に飛び込んできた。ここが、ラ・テラが運営するコワーキングカフェ「hammock(ハンモック)」だ。

江戸時代につくられた宿場町・海野宿。風情ある建物が並ぶ

コワーキングカフェ「hammock(ハンモック)」

店内では、同社の社員がパソコンに向かって仕事をしている。その傍らで、地元客がコーヒーを飲みながら談笑している。学校帰りの子どもたちもいて、なんだか賑やか空間だ。

ここには現在、オープン後に採用した地元スタッフ4人が常駐しているほか、社外の人が仕事をするスペースもある。また、近隣住民がカフェとして利用したり、「パソコンの調子が悪くて…」などと困りごとを相談しにくることも。また、子ども向けのプログラミング教室などのイベントも定期的に開催している。

「地域の人がふらっと立ち寄れる場所になってるんです。子どもたちが学校帰りに遊びに来て騒いでいると、近所のおばちゃんに『お兄ちゃんたちは今仕事してるんだから、早く帰りなさい』なんて叱られたりして。その光景が、微笑ましいんですよ」

地元の子どもたちが集まって、賑やかになることも

そう話すのは、ラ・テラの代表・松本さんだ。神奈川県出身で、専門学校卒業後に人材派遣や不動産営業の仕事に就いた。数年後の2009年、ラ・テラを立ち上げる。ホームページやシステム、アプリ開発などを手がけるWEB制作会社だ。ただ、松本さん自身はWEB制作の経験はなく、当時も今も経営や営業の仕事をしている。なぜ、縁のなかったWEBの世界に飛び込んだのか。

縁のなかった長野へ。1カ月後には住民票を移す

「当時一緒によく飲んでいた仲間の中に、デザイナーなどフリーランスの技術職の人が多くいたんです。彼らは仕事能力は高いけど、営業が苦手だったりするんですよ。だったら、彼らのために僕が仕事をとってこようと。そういう流れで、フリーランスの人たちを集めて起業したのが始まりです」

(右は妻の彩さん/提供:長野県)

立ち上げ当初のスタッフは、松本さんを含めて3人。仕事は順調に増え、今はデザイナーなど技術者を中心に10人ほどの体制になった。

一方で、課題も抱えていた。人材の流出だ。それを防ぐ目的で、地方進出を検討するようになったという。

「僕らのような小さい会社は、はじめから有能な人材を抱え込むことは難しいですよね。必然的に、じっくり育てていくことになります。でも、数年経ってようやく技術が身についてきたら、今度は去っていく。そういうことを繰り返していました。従業員を安定的に確保するにはどうすればいいか。そこで浮かんだのが、地方で雇用することだったんです」

長野には「スノーボードで遊びに行く程度」で、特別な縁があったわけではない。きっかけは、県の移住定住促進制度「おためしナガノ」を利用したことだった。これは、IT関連の事業者や個人事業主に最大約6カ月間、引っ越し代や交通費、県内でのコワーキングスペース利用料などを補助する制度。都内で開かれた説明会に参加し、2016年に社員と3人で利用することにした。

その拠点として選んだのが、東御市だった。県東部に位置するため東京との移動時間が短く、また視察した際の住民や関係者の歓迎ぶりも印象的で、「親身になっていろんなことを教えてくれそう」と思ったのが決め手になった。

「おためしナガノ」に参加した後の行動は早かった。松本さんは、わずか1カ月には住民票を移した。会社の拠点とする物件探しも始め、今の海野宿に行き着いたという。歴史的な街並みや、程よい田舎感、そして人との温かみに魅了されたそうだ。

もともとはサテライトオフィスとして利用するつもりだったが、現場を歩くうちに「せっかくやるなら、町の人たちや観光客が交流できるような場所にしたい。地域の役に立ちたい」と考え、カフェやイベントの運営も手がけることにしたという。

それにしても、その決断の早さには驚く。「東京で、ずっと働き続けることに疑問があったんです」。そう言って、松本さんは自身の“居場所”について語り出した。

「目的はサテライトオフィスをつくることでしたが、僕自身もそこに生活の拠点を移すイメージでした。ここ(長野)の方が、落ち着くんですよ。東京で生活していても、マンションの隣の人の顔を知らない。でも、ここは人との距離が近いんです。生まれ育った神奈川では、集合団地に住んでいました。近くの公園に行けば誰かしら友達がいて、悪いことをしたら近所の人に怒られる。そういう環境で育ったことも影響しているのかもしれないですね」

“真面目で堅実”に見られ、東京の仕事も増えた

「hammock」をオープンして2年半ほどが過ぎたが、それ以降、ラ・テラや松本さんには予期せぬ変化が生まれている。

例えば、仕事。これまでの制作案件は2次・3次の下請け業務が多くを占めていたが、長野に拠点をつくってからは県内の有力企業から直接仕事を受注したり、県や東御市など行政の仕事に携わる機会も増えた。つまり、業務の幅が広がったのだ。

さらに、そうした制作実績が「東京の企業にも真面目で堅実な印象で見られるようになり、会社の質やイメージが向上した」という。「東京でも今までにはなかったような1次請けの仕事がくるようになりました。お客様とより近い立ち位置で仕事する経験ができているので、自信もつきましたね」

一方、生活はどうか。長野と東京を行き来するため「スケジューリングが難しくなった」と忙しい日々を過ごしているが、暮らしは充実しているそうだ。

都心に近い神奈川、そして東京でずっと暮らしてきた松本さんにとって、長野は「初めての田舎」といえる場所になっているという。

「ここにいると、リラックスできるんですよ。空気が澄んでいて、湿気も少なく、晴天率も高い。野菜や果物、水の味も全然違いますよ。東京ではあまり食べることがなかった山菜もおいしくて。食材はスーパーで買わなくても、近所の人がくれたりしますしね」

「この町のポテンシャルは高いと思うんです」。松本さんは、海野宿の魅力にすっかり魅せられた様子だ。以前から続く高齢化や若い世代の流出は簡単には止められないかもしれないが、「hammock」を拠点に東御市や海野宿の魅力を発信することで、観光客が集まり、地域住民との交流が広がる。そんなかつての賑わいが生まれることを夢見ている。

伊那市にDIYのコリビング施設。自身は3拠点生活へ

「リノベプロジェクト交流会」。8月9日、長野県伊那市でこんなイベントが開かれた。旧ホテルをリノベーションした宿泊滞在型複合施設(コリビング)「WWJ(わいわいじゅく)」。オープンしたばかりのこの施設に、地域住民らを招いて見学・交流してもらう会だ。9月23日にはレセプションパーティーと内覧会も開催し、新たな施設の開設に住民らが歓喜の声を上げた。

伊那市に新たにオープンしたコリビング施設

実は、この仕掛け人もラ・テラの松本さんだった。「hammock」の存在を聞きつけた建物のオーナーから相談を受け、改装プロジェクトの企画や運営に携わることになったという。

建物は4階建て。2〜4階はシェアハウスと1泊から利用可能な客室、1階はシェアオフィスやコワーキングを含む多目的スペースにした。「hammock」同様、地域内外の交流を促す場にしていくつもりだが、「地元や近隣住民、学生ら若い世代と、DIYで一緒につくっていきたい」との思いから、今回の交流会を企画したという。これを皮切りに、「こんなものがあったらいい」「こんな企画をしてみたい」といったアイデアをワークショップなどで募りながら、「伊那を愛する人たちと、一緒につくり育てていく場所にしたい」と考えている。

「最終的には、僕らがいなくても地元主導でうまく回り、後世に残っていく。そういうコミュニティづくりのモデルケースの1つにしたい」。松本さんは今から、そんな将来を思い描いている。

早速、地域住民らを招いてレセプションパーティーを開催した

そして、松本さんにとっては当面は伊那市を拠点に、東京と東御市の3つの拠点を行き来する生活が動き出す。長野に降り立ってからのわずか数年間で、仕事も生活もフィールドが一気に広がった。

「『移住』は必ずしも、『永住』とイコールではないと思うんです。僕自身、決してずっと長野にいるつもりで住民票を移したわけではありません。やるからには本気でやりたい。そんな思いからでした。もちろんいろんな事情やケースがあると思いますが、移住はもしかしたら、“体験する”くらいの感覚でもいいのではないでしょうか」

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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