東京、フリーランス、そして沖縄へ。“人のつながり”で切り拓いたUターンへの道

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昨年7月に、那覇市にオフィスを開設したWEB制作会社・パノラマ。その責任者を任されているのが、東京で腕を磨いたエンジニアの島袋直和さんです。ある一言をきっかけに、一気にUターンへの道が開けたそう。偶然にも東京時代の同僚や友人も沖縄に移住し、彼らと過ごすプライベートも充実している様子です。そんな島袋さんのキャリアやUターン生活を聞きました。[本記事は、ITキャリア沖縄からの転載です]

プロフィール
株式会社パノラマ クリエイティブ Div. /フロントエンドエンジニア 島袋直和さん
沖縄県豊見城市出身。県内の高校卒業後、独学でWEBサイト制作などを学ぶ。22歳で受託系WEB制作会社にエンジニアとして入社し、上京。その後、フリーランスを経て2018年7月にUターン。パノラマの沖縄オフィス(那覇市)でエンジニア兼責任者を務める。福島県出身の婚約者がいる。

エンジニアとしてのキャリア
22歳で上京。一度県外へ出たかった

沖縄を出たのは、22歳のときでした。受託系WEB制作会社に入社し、本社のある東京で働き始めたのです。

実は、もともとIT業界やエンジニアを志望していたわけではありません。きっかけは、高校を卒業してフリーターをしていたときに、独学でITの勉強を始めたことです。まずHTMLに手をつけ始めたらどんどんおもしろくなって、自分でWEBサイトを運営したりとITの世界に魅力に感じていきました。

これを本格的に仕事にしたい。そう思って力試しのつもりで履歴書を送った会社で、いきなり採用が決まり、本社のある東京へ行くことになりました。当時は、一度は県外に出たいと思っていたので、東京行きは自分の希望でもありました。流れに身を任せていたら、なんだかトントン拍子で動いていった。そんな感覚でしたね。

その会社では主にFlashやJava Scriptを使ったWEB制作を手がけ、4年ほど在籍しました。その後一度、転職を挟んでから東京で4年ほどフリーランスのエンジニアをしていました。

やりがい感じていたフリーランス時代

フリーランスになったのは、29歳の頃です。正直、そこまで強い決心があったわけではなく、30歳を手前にして「一度チャレンジしてみたい」「もしうまくいかなかったら、また会社勤めに戻ろう」くらいの気持ちでした。

ただ、想像していた以上に仕事が順調に増えていったんです。大きかったのは、人のつながりですね。最初は、以前勤めていた会社から仕事をもらい、かつての先輩や同僚たちともずっと交流が続いていたので、彼らがその後転職した先の会社からも仕事の依頼を受けるようになっていきます。

フリーランスで仕事をするうえで意識したのは、当たり前かもしれませんが依頼された仕事を正確に、真面目にこなすことです。それを繰り返しているうちに、クライアントの横のつながりで新たな取引先を紹介してもらう。そうやって、どんどんつながりが広がっていきました。

会社の看板がないフリーランスでは、自分自身の価値が厳しく評価されます。もし失敗したら、二度とそのクライアントからは仕事が来ません。そういった緊張感の中で、仕事を評価してもらい二度、三度と継続して依頼してくれたときは非常に嬉しかったですね。そんな独特なやりがいを感じながら、4年ほどフリーランスを続けました。

パノラマへの入社、Uターンの理由
久しぶりの帰省。10月なのにセミが鳴いていた

ただ、以前から「いつかは沖縄に帰ろう」と漠然と考えていました。22歳で就職した会社は沖縄に支社があったので、東京へ行ったときも“研修”のようなイメージで1年くらいで帰ってくるつもりだったんです。ただ、そのまま残ることになりました。当時は東京での仕事が刺激的でしたし、結局上京して以来5〜6年間、一度も帰省しない状態が続きました。

そんなある日、友人の結婚式に参加するために、久しぶりに帰省しました。そしたら10月なのに、まだセミが鳴いていたんです。長く沖縄から離れていたせいか、それに衝撃を受けました。「沖縄いいな」と、そのとき強く感じたことをよく覚えています。

それからというもの、数カ月に一度のペースで帰省するようになりました。当時はフリーランスだったので予定の都合もつけやすく、いつも数週間単位で滞在していましたね。ストレスも、仕事への支障もない。どんどん帰りたい気持ちが高まっていきました。

ある一言から、事態は一気に動き出した

そんな心境でいるときに、たまたま今の上司にあたるパノラマの社員と食事をしたんですが、そこから事態が一気に動き出しました。

パノラマは、フリーランスのときによく取引していた会社です。その縁で食事をしていたときに、ふと「沖縄に帰ろうか考えてるんです」と口にしたら話が盛り上がり、パノラマが沖縄にオフィスを構えることになったんです。

実はパノラマには以前、地方にオフィスを構える構想があったらしいのですが、現地に駐在したいと手を挙げるような社員がおらず、計画が凍結していたそうです。そんなときに私がぽろっと「沖縄に帰ろうかな」と口にしたところ、凍結していたプランが再浮上した経緯があります。「(沖縄で)一緒にやろう。任せたい」と誘われたんです。そうして今年7月、パノラマ社員としての沖縄生活が始まりました。

現在の仕事と職場
東京のメンバーと一体化して業務遂行

パノラマは「デジタルクリエイティブカンパニー」を標榜しており、アパレルブランドを中心に幅広い業界のクライアントのWEB制作などを手がけています。広告代理店を介さない大手企業・ブラントとの直取引も多く、企画設計から制作、運用などまでカバーした総合的なブランディング支援を行っているのが強みでしょう。

沖縄オフィスは私と新たに採用した地元出身のエンジニアの2人体制ですが、沖縄だからといって何か特別な場所になっているわけではなく、制作業務はすべて東京本社(社員23人)と一体化しており、東京のディレクターやデザイナー、エンジニアと連携してプロジェクトを遂行しています。

東京本社とは距離が離れているので、コミュニケーションは色々と工夫してますよ。例えば、大型画面のテレビモニターを活用していることがあります。これを沖縄オフィスに1台、東京には会議室を含めて各部屋に計3台設置し、みんなが仕事している様子を“生中継”で映し出しています。それぞれのオフィスの状況や雰囲気を、リアルタイムで把握できるんです。コミュニケーションをとりたい場合はモニターを通して東京のオフィスに話しかけると、誰かが反応してくれます。窓の向こう側に東京オフィスがある。そんな感覚です。

沖縄での暮らし、休日の過ごし方
東京よりも町がコンパクト

私は車の運転免許を持っていないので、沖縄では車社会で不自由なく生活できるかどうか。そういう心配がありましたね。ですから、住む場所を決めるときは、なるべく徒歩圏内で買い物などが完結できるようなエリアを探しました。

ただ、オフィスのある那覇は東京と比べて町全体がコンパクトなので、中心部から少し離れた郊外なら手頃な家賃で家が借りられます。ですから、今のところは車がなくてもそれほど不便を感じていません。

東京時代の同僚や仲間と、沖縄で再会

元来、インドア派の私は休日は家の中でゆっくり過ごすこと多かったんですが、沖縄に戻ってきてからは、いい意味でキャラが壊れ始めています(笑)。この夏は何度も海でシュノーケリングをしましたし、釣りやフットサルも試しました。インドア派の私ですら屋外で楽しもうと思わせる魅力が、沖縄にはあるんでしょうね。

交友関係に恵まれたことも大きいと思います。実は、東京時代の同僚や、フリーランスのときに同じシェアオフィスにいた仲間の中で、たまたま私よりも先に沖縄に移住していた人たちがいたんです。彼らを通じてどんどん知り合いが増え、スムーズに輪の中に入っていけました。

一緒に沖縄に来た福島県出身の婚約者は、最初は「外国みたい」と驚いていました。町中に広がる木や植物、天候や建物の景観などが、まるっきり本土と違うからです。ただ、私と一緒に友人と遊ぶようになってからは、一気に慣れたようですね。今は私よりも頻繁に海や釣りに出かけていますよ。

今後の目標と“後輩”へのメッセージ
東京と同水準の給与、仕事がある

沖縄オフィスとしての今後のミッションは、今はまだ2人体制ですが、もう一回りも二回りも組織を大きくすることです。そのためにも、新たな仲間をどんどん増やしていきたいですね。

パノラマでは、東京本社と変わらない給与水準で働くことができます。またエンジニアにとっては、技術を活かしやすい環境です。ディレクターやデザイナーも新しいトライに積極的なので、エンジニアの提案や意見を好意的に受け入れてくれます。さらに、クライアントとの直取引が多いので、こちらのアイデアや提案が反映されやすく、その反応もダイレクトに返ってきます。仲間を増やして、質の高いクリエイティブを提供していきたいですね。

沖縄へUIターンして、何が変わるのか。それはみなさんの思いや行動次第だと思いますが、まずは一度来てみて、肌に合わなかったら戻ればいい。それくらいの気持ちでチャレンジしてみるのも、いい考え方だと思いますよ。


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About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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