「IoT×地域」の実現探るIT社長と、”大人の夏休み”を過ごす若手クリエイティブ集団〈美波町と移住者②〉

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徳島県南部の太平洋に面した美波町。この小さな港町が今、サテライトオフィスの誘致や若者の移住で注目されている。同町の盛り上がりを紹介する初回は、大阪のIT企業・鈴木商店を紹介したが(記事はこちら)、他にもIT企業やユニークな若者が続々とこの地に舞い降りている。一体彼らは何に魅了されたのか。

地域課題をテクノロジーで解決するために

通過ポイントに設置された「みなみえる」

傾斜の厳しい未舗装の登山道や岩場、海風が吹く海岸沿いを、屈強なランナーたちが勢いよく走り抜けていく。今年1月に開催された「千羽海崖トレイルランニングレース」。来年で10回を数える、美波町を舞台にした恒例行事の1つだ。

そこで今年初めて、クラウドベースの位置情報共有システム「みなみえる」が使用された。ランナーが装着するGPSやBluetooth搭載のタグから位置情報をリアルタイムで把握し、通過ポイントやゴールの予想時間、順位などをパソコンやスマホで共有できるようにしたのだ。これまでは運営スタッフが無線で情報共有するなどしていたが、「スタッフの負荷が減った」「大会の安全確保につながる」「予想時間がわかるので応援しやすい」などと好評だった。

このシステムを開発したのが、東京・八王子市に本社を置くIT企業のイーツリーズ・ジャパンだ。昨年2月にサテライトオフィスを設置。「みなみえる」は、新たな事業領域として強化しているIoTシステム開発の一環で生まれたサービスだ。船田悟史社長は、「IoTサービスの実証実験の舞台にしようと考えました」と同町進出の理由を語る。同社はFPGA(※)を活用したサーバ機器・組み込み機器の研究・製品開発を手がけており、超高速Webキャッシュサーバ「freeocean」を開発するなどしてきた。

※FPGA:field programmable gate arrayの略称。製造後に購入者や設計者が構成を設定できる書き換え可能な集積回路。

イーツリーズ・ジャパンの船田社長。IoTによる地域課題解決の舞台として、美波町を選んだという。

美波町の存在は、サテライトオフィスの誘致や地域活性化事業を行っている地元ベンチャー・あわえの吉田基晴社長から耳にした。吉田社長はIT企業のサイファー・テックも経営しており、2012年に同町初のサテライトオフィスを設置。翌年には東京から本社を移した。イーツリーズ・ジャパンは以前からサイファー・テックと取引があり、吉田社長から声をかけられたのだという。

一方、船田社長は学生時代からサイクリングが趣味で、最初は美波町のサイクリングイベントに参加するなどしていた。次第に海山に囲まれた大自然や、よそ者を歓迎してくれる住民たちの心意気に惹かれ始めた。ただ、船田社長は「単に社員のリフレッシュ拠点をつくりたかったわけではありません」と話す。

思い描いたのは、「地域課題をテクノロジーで解決すること」だった。「過疎・高齢化をはじめとする地域課題に対して、地域の人たちと一体となってIoTを使ったシステム開発を行う。それがうまく形になれば、全国展開も可能になる」との狙いがあった。

「みなみえる」を開発したのは、町内ではスポーツイベントが盛んな一方で、運営を支えるスタッフ不足が指摘され、将来的に開催が危ぶまれる事態を見越してのことだった。IT化によって効率的な運営や、応援のしやすさを売りにした集客アップを目的に開発したという。なお、「みなみえる」は美波町のほかにも、イーツリーズ・ジャパン本社のある八王子市近辺を含め、これまでに全国各地のスポーツイベントで10回ほど試行・導入している。

ランナーはGPSやBluetooth搭載のタグを装着。これにより、位置情報をリアルタイムで把握する。

「スポーツ×IoT」の成長分野へ投資

船田社長は今、月の半分を美波町で過ごしている。東京との2拠点生活だ。新たなIoTシステムを練るうえでは、やはり現地に根ざして情報を得る必要があるからだ。自前のロードバイクも1台持参し、休日はサイクリングや、山道などを走るトレイルランニングを楽しんでいるという。

船田社長の他に、親子で数週間ほど”田舎暮らし”を体験できる徳島県の事業「デュアルスクール」(参考記事はこちら)を利用し、美波町のサテライトオフィスで働きながら一家4人で町内で過ごした社員もいる。結果的に、社員のリフレッシュや柔軟な働き方を実践する場として使われるケースもあるようだ。

画面上には、ランナーの名前や通過地点、ゴール予想時間などが一覧になって映し出される。

「みなみえる」を核にしたIoTの実証実験は、「予想以上にスピーディーに進んでいます」と船田社長は手応えを口にする。将来的にはスポーツイベントの運営や集客だけでなく、例えば参加者や応援者が町内を観光したり、飲食して回る機会をつくるような仕掛けづくりにもつなげていきたい考えだ。

さらに今、同社にはサテライトオフィスの設置を含めた他の地域からの”協業オファー”も舞い込んでいるという。美波町での取り組みや実績が、同様に地域課題をITで解決してもらいたいと考える自治体の目に止まったようだ。

船田社長は、「IoTをはじめとするテクノロジーの力で、各地域の課題を解決するような取り組みを広げていきたいですね。地域への貢献とともに、自社としても技術を磨くことができ、売り上げになります。特に2020年開催の東京五輪・パラリンピックに向けて、スポーツとIoTの組み合わせは注目されています」と意気込んでいる。

船田社長はサイクリングが趣味で、各地の大会・レースに数多く参加する”本格派”だ。

”浪速の3人組”がオープンした「at Teramae」

今年4月、町内の一角に築96年の古民家をリノベーションした建物が突如現れた。中を覗くと、コーヒースタンドやアパレル商品が並んでいる。都会に佇むような異様な雰囲気を醸し出すこの施設は、寺前という地名から名付けた若者3人組の”クリエイティブ集団”「at Teramae(アットテラマエ)」がオープンした拠点だ。

古民家をリノベーションしたat Teramaeの拠点。コーヒースタンド(左)などが並ぶ(写真提供:HWS studio)

3人は、WEBサイト制作などを請け負うデザイン会社「まめぞうデザイン」の代表・ドウゾノセイヤさんと、動画撮影やアパレルブランドを手がける山崎一平さん、絵描きの磯中太志さんだ。いかにも”今どきの若者”の出で立ちをした異色の3人だが、その経歴や美波町に降り立つ経緯もユニークだった。

at Teramaeのメンバーは3人。WEBデザインなどを中心とするクリエイティブ集団だ(写真提供:HWS studio)

まずは、リーダーのドウゾノさん。台湾で生まれ、10歳から大阪で過ごした。初めて美波町を訪れたのは約10年前。音楽活動に夢中な20歳頃だった。きっかけは、交際していた女性が美波町出身だったこと。「ゲームソフト『ぼくのなつやすみ』のような”いい感じの田舎感”」(ドウゾノさん)が気に入り、その後は毎月のように遊びに行くように。顔見知りの住民や関係者がどんどん増えていった。

それから5年ほど経ち、ドウゾノさんは独学で磨いたWEBデザインをフリーランスで請け負う仕事を始めた。その頃ちょうど、美波町ではサテライトオフィスの誘致が進み、町が盛り上がり始めていた。ドウゾノさんの拠点は大阪にあったが、町内のネットワークやつながりから地元ベンチャー・あわえのWEBサイト制作を手がけるなど、町内の仕事も任されるようになる。「駆け出しの頃に実績を積ませてもらった」(ドウゾノさん)という恩もあり、2年前に法人化する際に本社を美波町に置いた経緯がある。現在は大阪と美波を行き来しながら町内外の仕事を手がけ、町内関連では「デュアルスクール」や地元で有名な日和佐八幡神社のWEBサイトを制作するなどしている。

(写真上)日和佐八幡神社にホームページを”奉納”/(写真下)右手前がドウゾノさん、奥が山崎さん(写真提供:HWS studio)

そんなドウゾノさんと、山崎さんとの付き合いは長い。もうかれこれ10年ほどになる。ドラマのような話だが、山崎さんの姉がドウゾノさんの交際相手だったのだ。当時、大阪近辺で姉と同居していた山崎さんのマンションに、「姉の彼氏です」と現れたのがドウゾノさんだった。年齢が近かったこともあり意気投合し、以来ずっと友人関係が続いている。

山崎さんは美波町出身で、地元の高校卒業後に関西の大学でグラフィックデザインを専攻。卒後後は写真や動画制作のほか、アパレルブランドを立ち上げるなどしてきた。ただ「地元が好きで、仕事があれば早く帰りたいとずっと思っていた」という。

そして、その日は2014年に訪れた。あわえに入社し、写真や動画などの制作業務を担当。数年後に独立し、今に至る。とにかく地元への愛情が深く、アパレルのブランド名「HWS」は旧町名である日和佐(ひさわ)町のアルファベットの頭文字から名付けたほどだ。山崎さんはUターン後、生活面でも「釣りやサーフィンなどの”自然の遊び”が気軽にできる」などと念願の地元暮らしを満喫している。

山崎さんが手がけるアパレルブランド「HWS」は、旧町名の「日和佐」から名付けたという(写真提供:HWS studio)

そこに、海外放浪旅を終えた磯中さんが現れた。山口県生まれの磯中さんは、京都のデザイン専門学校を卒業。美波町では今、デザインのほかに絵画の個展を開くなどしている。美波町に居座るようになったのは、旅先のオーストラリアで出会った友人が同町に移住し、それを追うように訪れた際の居心地のよさに惹かれたからだった。

磯中さんは専門学校を卒業後、海外各地を放浪。ワーキングホリデーの制度を利用して海外で働きながら、資金を貯めてはまた違う国を訪れる生活を続けていた。海外生活はトータルすると4年ほどになる。そんな磯中さんは、初めて美波町に降り立った際の印象をこう語る。「驚いたのは、地方にもこんなにおもしろい若い人たちがいることでした。しかも、町の人たちは温かい人ばかりで」。もともと小さな町での居住願望があった磯中さんは、旅に区切りをつけてから美波で暮らすようになった。その後、同じ旅仲間だった妻を呼び寄せた。彼女は今、at Teramaeのコーヒースタンドの営業を任されている。

磯中さんが手がけた絵画。町内で個展も開催するなどしている(写真提供:HWS studio)

磯中さんの妻がバリスタを担当するコーヒースタンドには、地域の住民たちが集まってくる(写真提供:HWS studio)

”まちとつながるクリエイティブ”の拠点に

今春オープンした新たな施設は、そんな3人が意気投合して叶えたアイデアだった。3人はそれぞれ個人で仕事をしているが、業種が近いこともあり一緒にプロジェクトを進めるようなことも少なくない。その”制作拠点”や”共同事務所”を構えようと計画していると、次第に「どうせなら、地元の人たちも気軽に集まれるようにコーヒーを出すのもいいよね」(ドウゾノさん)などとアイデアが次々と膨らんだ。結果的に、山崎さんのブランド「HWS」商品を並べたり、コーヒースタンドやギャラリースペースを設けるなどした多目的施設が完成したのだという。

at Teramae内の作業スペース(写真提供:HWS studio)

ドウゾノさんは「WEBサイト制作をはじめ、3人で”まちとつながるクリエイティブ”をしっかりやっていく拠点にしたいですね。それだけでなく、いろんな人が集まってつながり、新しい事象が起きるような場所にできたらいいと思っています。さらに、子どもたちにモノづくりの楽しさを教えたり、”こんな生き方がある”という姿を見せられたら」と夢を膨らませている。

きっとこの3人のことだから、「ラジオをやりたい」(磯中さん)などとユニークなアイデアが湧いては実現していくことだろう。3人の姿は「大人が本気で遊ぶ」、そんな”大人の夏休み”を過ごしているようにも見える。

世代を超えて人々を引き寄せる美波町。その”クセになる居心地のよさ”は、きっと体感した人にしかわからない独特な納得感があるのだろう。声高に地方創生を叫ぶわけでも、過度に将来を悲観するわけでもない。地域内外の人々が緩やかにつながり、今を充実して生きる。そんな空気感が、この町の魅力なのかもしれない。

恒例行事である日和佐八幡神社の秋祭りの季節が少しずつ迫ってきた。美波町を訪ねる絶好の機会だ(写真提供:HWS studio)

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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