パソコンを叩き、漁へ出る。小さな港町で見つけたワーク&ライフ〈美波町と移住者①〉

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東京から遠く離れた小さな漁村が今、地方衰退に悩む自治体や地域進出を目論む都心の企業などから熱い視線を注がれている。徳島県南部の太平洋に面した美波町。ウミガメの産卵地として知られ、来春には移住者や住民との交流を描いた映画が公開される予定だ。IT企業をはじめとするサテライトオフィスの誘致は県内最多で、企業誘致で有名な同県神山町を上回る実績だ。この町で今、何が起こっているのか。美波町にゆかりのある人をシリーズで紹介しながら、その実態に迫る。

【美波町DATA】

◎人口は6,936人(2018年3月1日現在、美波町役場調べ)
◎2006年に日和佐町と由岐町が合併し、誕生した
◎海、山、川に囲まれた自然豊かな場所で、美しい景観は新日本観光地100選に選出
◎四国霊場の薬王寺に参拝する遍路で、門前町でもある
◎ウミガメの産卵地として有名で、ウミガメの博物館がある
◎NHK連続テレビ小説「ウェルかめ」の舞台になった
◎県内最多のサテライトオフィス誘致実績を誇る(17社、2017年12月時点)
◎移住者らとの触れ合いを描いた映画「波乗りオフィスへようこそ」が来春公開予定

シリーズ初回は、クラウドシステム開発の株式会社鈴木商店(本社:大阪市)に勤める小林武喜さん。2013年に開設したサテライトオフィス「美雲屋」(みくもや)を取り仕切る”浪速の男児”は、本業のほかに漁師の手伝いや町内会の会計係、消防団員など1人で何役もこなしている。大阪から移住した経緯や、現地の暮らしぶりを聞いた。

数年ぶりの再会。突如告げられた「徳島に行ってくれへん?」

「徳島にオフィスをつくるから、おまえ行ってくれへん?」。鈴木商店の社長、鈴木史郎さんからの誘いは突然だった。「ええよ、行くわ」。5年前、大阪の居酒屋で交わした約束が、小林さんの人生を大きく変えることになった。

大阪で育った小林さんは、飲食店でキャリアをスタートさせた。20歳を過ぎて独立し、自分の店を開店。以来、約10年間にわたって店の営業を続けた。”飲食一筋”のキャリアだった。

鈴木さんとは、小学生時代からの幼馴染だ。鈴木さんは東京のコンサルティング会社に入社し、WEBやITの知識を積んだ。しばらくして地元に帰り、父が創業した鈴木商店で仕事を始めることに。もともと鈴木商店は印刷資材の卸問屋だったが、ネットの普及もあり当時の事業環境は厳しかった。鈴木さんの東京勤務時代の経験を活かし、システム事業部を立ち上げたのは2004年。その後印刷関連事業からは撤退し、現在のクラウドシステム開発に一本化した経緯がある。IT会社らしからぬ社名は、そうした歴史が関係していたのだ。

ただ、システム事業ははじめからうまくいったわけではない。その頃、鈴木さんは小林さんの店を頻繁に訪れ、悩みや愚痴を打ち明けていたという。そしていつのまにか、小林さんはそんな鈴木さんの仕事を手伝うようになった。

「パソコンのことは、さっぱりわかりませんでした。とりあえず家電量販店でパソコンを購入し、見よう見まねでAdobe(アドビ)などのソフトをいじったり、鈴木からプログラミングのレクチャーを受けたりしてましたね」。こうして小林さんは、WEBの世界に足を踏み入れることになる。

”手伝い”のつもりで始めた鈴木商店の仕事が次第に忙しくなると、小林さんは飲食店を畳み、鈴木商店に入社することを決意。それから約5年間、猛烈に働き続けたという。ただ、反動も大きかった。「この業界にありがちなことですが、なんか疲れてしまって…。体を動かす仕事がしたくなったんです」。その後はトラックの運転手に転身し、フリーランスのエンジニアとしてWEB開発関連の仕事も請け負うように。そんな生活を数年続けた。

鈴木さんから”徳島(美波町)行き”を打診されたのは、38歳のときだ。「飲みいかへん?」と突然誘われ、数年ぶりに再会を果たした場だった。ちょうどその頃、小林さんは「都市部のルーティン化された日々が嫌になり始めていた」といい、「大阪から出られるなら」と快諾したのだという。

そうして2013年秋、美波町に鈴木商店のサテライトオフィス「美雲屋」が正式に開所された。町にとっては2社目のオフィス誘致だ。小林さんはその責任者として赴任。新たに雇用した地元出身の女性スタッフと2人で、大阪本社で開発したシステムの改修・保守・管理などを主に担っている。オフィスは、本社社員の開発合宿として利用されたりもしている。

町内で2社目のサテライトオフィスとして開所した「美雲屋」

古民家を改装したオフィス内。ここでシステムの改修・保守・管理業務などを行っている。

全世帯に手土産を持参。結婚式に住民沸く

オフィス開設から約5年。「美雲屋」と小林さんは、すっかり地域に溶け込んでいる。ただ、最初から決して”大歓迎”されたわけではない。

「オフィスを開設した場所は、30世帯ほどの小さな集落です。そこに見ず知らずのIT企業がやってくるわけです。視察で訪れる度に、全世帯に手土産と名刺を渡して回りました。とにかく『僕たちを馴染ませてください』という思いでした。きっと各家には、僕の名刺が5〜6枚あるんじゃないですかね」

これは偶然だが、オフィスを開所したタイミングもよかった。美波町では毎年10月に秋祭りが開催される。地域住民総出の伝統行事だ。この祭りに参加できたことで交流が深まり、顔見知りが一気に増えたのだという。一緒に神輿を担ぎ、酒を交わす。一見すると何気ない触れ合いだが、小林さんは「これが非常に大きかった」と振り返る。

恒例行事の日和佐八幡神社秋祭り。この時期は町内が特に沸き返る。

町内で挙げた結婚式では、花嫁が漁船に乗って登場するサプライズも。

のちに小林さんは、地元住民から「工場長」と呼ばれるようになる。鈴木商店について「ITやWEBの仕事をしている」と説明しても住民にはうまく伝わらず、あるときから「モノづくり会社です」と答えるように。それから「じゃあ、おまえは工場長だな」と言われたのがきっかけだ。

さらに、住民たちの小林さんへの信頼を象徴するエピソードがある。3年前、小林さんは大阪在住時から交際していた女性と結婚。美波町で挙げた式には、約100人が集まった。周囲の度肝を抜いたのは、花嫁が大漁旗を掲げた漁船に乗って海から現れるシーンだ。地元漁師の粋な計らいに、住民たちは大いに沸き返った。

「美雲屋」では年に1度、オフィスの開所日(9月14日)に社員総出で「感謝祭」を開催している。射的やヨーヨーすくい、ライブなどで盛り上がる、社員と住民らの交流の場だ。今年で6回目となる開催も、少しずつ迫ってきた。

2人の結婚式には約100人が参加。”住民総出”の催しとなった。

「美雲屋」の開所日に毎年開催している祭りにも多くの住民が参加。交流の場になっている。

深夜0時に起床。漁を手伝い、朝9時に出社

「ちょっと手伝ってくれへん?」。小林さんのもとには、住民からよくこんな声がかかる。今では”日常の一部”になった漁師の手伝いも、その1つだ。

ある日の深夜0時。辺りが暗闇にすっぽり包まれる中、小林さんは起床する。船に乗り込み、1時間後には沖で伊勢海老などが大量に入った網を引く。陸に戻ってからも作業は続き、気がつけば朝8時に。帰宅してシャワーを浴び、9時には「美雲屋」に出社する。「眠いけど、なんとか定時まで働きますよ」。多いときは月の半分ほど、漁に出ることがあるそうだ。

またあるときは、早朝海へ出てサーフィンを楽しむことも。海には徒歩数十分でたどり着ける。もともとサーフィンは趣味だった。まだ仕事中の夕方5時くらいになると、「一杯やらんか」と漁師や近所の住民から電話がかかってくることも珍しくない。海や仲間とともにある生活を、美波町で満喫している。「『ワーク・ライフ・バランス』(仕事と生活の調和)という言葉がありますが、あまりピンとこない感覚があります。僕の場合は、”バランスよくわける”のではなく”両方”やなと」

40代前半の働き盛りの小林さんは、地域にとって心強い存在だ。漁以外にも町内会の会計係や消防団員も担うなど多忙を極めるが、小林さんは「信頼してもらえるのは嬉しいですね」と楽しんでいる様子だ。「美波町では、都市部では絶対に無理だろうと思うような生活を味わえるのが醍醐味ですね。いつまでも、いい意味で無邪気でいられる場所です」

「一杯やらんか?」。地域の住民たちから、そんな誘いが毎日のようにあるという(中央が小林さん)

母親、妻、子供。美波町で、家族とともに

「この生活の充実ぶりは、鈴木に誘われた5年前は想像できませんでした」。そう語る小林さんだが、美波町で人生を変えたのは本人だけではない。母親、妻、そして1歳の子供もまた、この町で新たな生活を送り、これからの人生を歩み出そうとしている。

小林さんは、移住の際に母親を一緒に連れてきていたのだ。仕事熱心だった母親は当初、のんびり過ごす美波町での生活にとまどい、一時体調を崩してしまったことがある。ただ、スーパーなどで仕事を始めてからは一変。70歳を過ぎた今、歳の近い友人たちのコミュニティにもすっかり馴染み、元気に車を乗り回しながら町の生活を楽しんでいるという。

一方、妻と子供は今、妻の実家がある大阪を拠点に、定期的に美波町に滞在する生活を送っている。小林さん自身も、美波町と大阪を行き来している。ただ現在、美波町で家を新築する計画が進行中で、近い将来、妻と子供と家族3人で暮らす生活が送れるようになるという。

小林さんは、「これから20年、30年とここで暮らしていく。先に見える姿がどんどんクリアになってきました」と話す。会社や地域に対しても、「もっと会社のコアな事業、例えばエンジニアが開発の仕事をみっちりできるような環境をつくれるかどうか。そして町に対しても、地域を守っていく立場、一員として頑張っていきたいですね」と力を込める。美波町で描く仕事や暮らしのイメージは、どんどん膨らんでいる。

すっかり地域に溶け込み、頼りにされる存在になっている。

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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