地方のゲストハウスを訪ね歩く大手企業のデザイナーが、東京でシェアハウスを始めた理由

Share

富士通グループでデザイナーとして働きながら、東京・三軒茶屋(世田谷区)で総勢約15人が暮らすシェアハウスを管理・運営する人がいる。富士通デザイン株式会社に勤務する高野一樹さんだ。異色の生活を送るきっかけは、学生時代に偶然訪れた長野県のゲストハウスでの体験だった。そこから始まった全国各地のゲストハウス巡り、長野との2拠点生活。そして、遂には自らシェアハウスを運営することに。地方ではなく、あえて東京に構えたのはなぜだったのか。そして、会社員との二足のわらじを続ける理由はーー。そこには、高野さんならではの地方との関わり方や、柔軟な働き方への思いがあった。

三軒茶屋駅から徒歩5分。15LDKの元社員寮に集まる20〜30代

住みたい町ランキングで上位にランクインし、オシャレな若者や芸能人たちが行き交う三軒茶屋。駅周辺の喧騒から脇道にそれ、住宅街を縫うように5分ほど歩くと、異様な雰囲気を放つ長方形の建物が目に飛び込んできた。かつては社員寮だったこの場所が、高野さんが管理するシェアハウス「モテアマス三軒茶屋」(以下、モテアマス)だ。「こんにちは、昨日仕事で仙台に行ってきたんです。お土産のお菓子、食べませんか?」。扉を開けると、住人の1人が笑顔で出迎えてくれた。

元社員寮で、3階建て15LDKのシェアハウス「モテアマス三軒茶屋」。

3階建て、15LDKのモテアマスがオープンしたのは2016年11月。高野さんが、友人と2人で共同運営している。当初はなかなか住人が集まらなかったが、現在は約15人が共同生活を送っている。最近は満室状態が続いているという。住人の年齢は20代後半〜30代前半が中心で、学生や会社員、フリーランスで働く人が多く、バッググランドは多彩だ。

「掃除や家事当番などのルールは、ほとんどありません。気分が乗らないときは、自分の部屋に閉じこもってもいいですし。周囲に合わせず、自分らしくいられる場所づくりを意識しています」。高野さんは、モテアマスのコンセプトをそう説明する。

共同運営者の1人である高野さんが取材に応じてくれた。

そんな自由な空気感を象徴するのが、1階にある共有スペースのリビングで、毎週のように開催されるイベントだ。モテアマスには短期滞在の友人も数多く訪れるが、そのゲストたちと飲み交わす”スナック”や、カレーの試食会などユニークな企画から、確定申告について勉強する会などまで多彩な企画がある。もちろん、住民といえども参加するか否かは自由だ。モテアマスのFacebookページには、賑やかな宴の様子を伝える投稿写真が溢れている。それは、暮らし方や家族に関する価値観が多様化する中で、コミュニティの新しい姿を映し出しているようにも見える。

モテアマスでは住人や短期滞在の友人らが集まり、毎週のように”スナック”を催している。

長野のゲストハウスから、すべては始まった

それにしても、高野さんは富士通という”安定の職”に就きながら、なぜこうした”破天荒な生活”を送っているのだろうか。

2011年12月のことだった。年の瀬が押し迫る頃、当時千葉県の大学に通っていた高野さんは、修士論文の執筆に没頭していた。ただ「あまりにもつらくて、1日だけ遊ぼう」(高野さん)と、友人と急遽旅行を計画。真冬の富士山を一望できるホテルを探したが、年末の繁忙期のため空きがなく、ようやく見つけたのが長野県小谷村にある古民家ゲストハウスだった。そこから富士山を望むことが叶わなかったが、オーナーとの出会いがその後の生き方を変える大きなきっかけになったのだった。

そこには”お客様”として過度にもてなすサービスはなく、宿泊者同士で一緒に夕飯の準備をしたりと、まるで”親戚”のような交流を大切にする文化があった。その距離感や触れ合いに居心地のよさを感じたという。オーナーとは同い年で、「かずき」という名前も同じだった。妙な縁を感じ、すっかり意気投合。大学を卒業し、社会人生活が始まってからも定期的に小谷村を訪ね、オーナーと共通の趣味だった音楽のイベントを開催したり、田植えを手伝うなどして交流を深めた。

高野さんにとって”転機”となった長野県小谷村にある古民家ゲストハウス。

ここを行き交う人たちとの交流は広がり、田植えを手伝うなど定期訪問するように。

「他にもおもしろい場所があるかもしれない」。そう思った高野さんは、その後週末に各地のゲストハウスを巡る旅に出かけるようになった。これまでに西日本を中心に40軒ほどのゲストハウスを探訪。訪れる先々で、”ゲストハウス仲間”との出会いを重ねた。

そうした中、小谷村のゲストハウスのオーナーが、新たに長野県大町市でシェアハウスを始めることになった。「(東京との)2拠点生活やってみない?」。オーナーの誘いを快諾し、ゲストハウスで知り合ったメンバーと3人で部屋を借りることに。他の2人はそれぞれ長野、東京に在住する同世代の女性。「一男二女」というユニットを組み、3人で月3万円の家賃(1人当たり1万円)を払いながら、”平日は東京、週末は長野”の2拠点生活を半年ほど続けた。

住民やシェアハウス仲間をはじめ、地域コミュニティにもすっかり溶け込み、充実した生活を送っていた。ただ、ある時期から「東京でも同じように、週末に大好きな人たちと楽しめたら」(高野さん)との思いが募り始めたそうだ。モテアマスは、そうした経緯から生まれた。拠点をモテアマスに移してからは大町市のシェアハウスでの2拠点生活は解消したが、今でも月1回程度は大町市や各地のゲストハウスを訪れる旅は続けているという。

東京と長野の2拠点生活時代の様子。女性2人と「一男二女」というユニットを組んだ。

シェアハウスを地方移住の”拠点”にしたい

モテアマスには住人以外にも、全国各地から多くの”ゲスト”が訪れる。その多くは、大町市をはじめ高野さんがゲストハウスの旅で知り合った仲間たちだ。三軒茶屋を舞台に、都市と地方の人の交流が広がっているのだ。

モテアマスの住人が、地方移住に繰り出すケースも出てきた。かつて住人だったOLの女性は、高野さんのゲストハウス仲間とモテアマスで知り合い結婚。その後、夫婦で岐阜県中津川市に移住し、女性はゲストハウスのスタッフとして働いている。また、瀬戸内海のしまなみ海道に浮かぶ愛媛県・佐島で、カフェをオープンした女性もいるという。

これらは偶発的に生まれた動きだが、高野さんは「どんどん地方に行ってみてほしい」と密かに思っている。「東京は仕事が見つかりやすく、働きやすい場所です。でも生活コストが高く、自分のやりたいことをやろうとしても、プレーヤーが多すぎて消耗してしまいがちです。一方で地方は、やりたいことをやれる余地が大きい。東京でやりたいことをうまくできないと悩んでいる人は、地方で一度チャレンジしてみてほしいですね」

ただ、誰もが地方で成功できるわけではない。不便な生活にストレスを感じたり、コミュニティにうまく馴染めず苦労することだってありえる。だからこそ、高野さんはモテアマスを”戻ってこられる場所”にしたいと考えている。「一度地方に行くと、『絶対に成功しないといけない』『東京に戻りづらい』などと使命感をもってしまう人もいますが、モテアマスを『つらかったら、ここに戻ってきておいで』と言える場所にできれば、きっと地方にも行きやすくなるはずです。僕が東京でシェアハウスをやる意味は、そういうところにあります」

会社員として、仕事と趣味を両立する働き方

ここまで“シェアハウスの管理人”としての活動ぶりを紹介してきたが、冒頭で紹介した通り、高野さんは富士通デザインの社員(デザイナー)でもある。むしろそれが本業だ。

高野さんが所属する部署は、アプリ画面のUI(ユーザーインターフェース)設計などをメイン業務としている。ただ、高野さんは現在、新規事業のコンセプトやブランディングのデザインなどを主に担当している。最近では音に関するIoTプロジェクトに関わったほか、過去には会議やワークショップなどでのアイデア出しに役立てるお菓子「CREATIVE SNACK(クリエイティブ スナック)」を開発したこともある。

一方で、副業解禁など昨今の働き方を巡る議論が加速する中で、高野さん自身も柔軟な働き方を実践している。例えば過去には、ゲストハウスで出会った仲間とともにクラウドファンディングで資金を集め、絵本の制作を企画したことがあった。他にも、フライヤーのデザインや映像制作などを個人で手がけるケースもあるという。

高野さん自身、もちろん本業の仕事を最優先に考えている。ただ、会社の仕事がそれほど忙しくないような場合は、仕事を早めに切り上げてシェアハウスや個人の活動に費やす時間を増やすなど、フレックスに動いているそうだ。そのためにも、「上司や同僚には情報をすべてオープンにする」(高野さん)ことを心がけている。

「実は、当初はデザインとは異なる活動ということもあり、目立たないように活動してたんですよ。有給休暇が多くなり、ある日同僚から『高野くん、転職活動でもしてるの?』と言われたことがあって。それ以来、シェアハウスの運営も他の活動もすべてオープンにすることにしました。上司の理解があることが前提ですが、今は気兼ねなく活動ができてます。今後は、会社の仕事をできるだけリモートワークに移行していきたいと思ってます。理想は会社勤務を週3日くらいにして、それ以外の活動のウェイトを上げたいですね」

最後に、高野さんは”働き方”について持論を語ってくれた。「僕は、会社員をしながら活動することに意味があると思っています。きっと多くの会社員は、仕事のほかにやりたいことがあっても『どっちかにするしかない』と悩み、片方をあきらめざるを得ないのではないでしょうか。”仕事か趣味か”と二分しがちな部分をもう少し融合して考えられたら、きっとみんな生き生きと過ごせると思うんです。会社員でも、仕事と好きなことを両立できる。そういう動きが広がってほしいですね」

今夜もモテアマスには、笑い声が響き渡っていることだろう。

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

Leave A Reply