東京からWEBの仕事を請け負い、限界集落で古民家を再生する。SATORUが描く移住・田舎暮らしとは

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最寄りのコンビニやスーパーまで車で約40分、高齢化率は55%ーー。そんな”限界集落”と呼ばれる村に都心から3人の若者が移り住み、古民家の再生とメディア運営を手がけるプロジェクトが進行中だ。彼らはいずれも、東京の企業でWEBマーケティング・広告運用などの仕事をしていた。都会の便利な暮らしや安定の職を投げ捨ててまで、実現したいことは何だったのか。彼らが思い描く理想の生き方、そして村の未来とはーー。

”限界集落”といわれている昭和村。のどかな田園風景が広がる。

高齢化率55%の村に、都会の若者3人が移住

ホームセンターで大量に買い込んだ資材を車に詰め込み、向かった先は大自然の中にポツンと建つ古民家だった。いかにも”都会風”な出で立ちをした男たちが、慣れない手つきで木材を切断したり、汗を拭いながらペンキを塗ったりしている。

福島県昭和村。山深い会津地方にあるこの小さな村は、人口約1300人、高齢化率は県内で2番目に高い55%ほどに達する。いわゆる限界集落だ。今年5月、ここに東京から3人の若者が移住してきた。彼らは1987年生まれの同級生。都内の会社に勤めWEBのマーケティングや広告運用などを手がけていたが、新たに株式会社SATORUを立ち上げ、その拠点を昭和村に置くことにした。東京の企業からWEB関連の仕事を請け負いながら、古民家を改装してゲストハウスやアウトドア体験などの交流拠点として活用したり、村の情報や田舎でのライフスタイルを発信するWEBメディアの運営などを手がけている。

すでにWEBメディアの運営はスタートしており、古民家は2018年春のオープンに向けて、3人の手によるDIYの改装作業が急ピッチで進められている。完成後はゲストハウスとしての機能のほか、周囲の敷地も含めてキャンプや野菜の収穫体験、各種イベント・ワークショップ、社員研修などにも利用し、村内外の人々が集まる場所にしようと計画している。

現在、改装真っ只中の古民家。ここをゲストハウスや社員研修に活用するなど、村の交流拠点にしたい考えだ。

自社で運営するWEBメディア。村内の情報や、3人の暮らしぶりなどを発信している。

「将来、田舎暮らしをしよう」。学生時代に語り合った夢

彼らはなぜ、都会の便利な暮らしや安定の職をあえて捨て去り、この限界集落に足を踏み入れたのだろうか。

遡ること約10年。学生時代をともに過ごした3人は、当時からキャンプなどのアウトドアレジャーをよく楽しんでいたという。「将来、田舎暮らしをしよう」。3人はよく、そんな風に夢を語り合った。いよいよ、その夢を叶えようーー。卒業後はそれぞれ社会人生活を送っていたが、あのときの思いを具現化しようと動き出すことになったのだ。

(左から)代表の橋本浩寿さん、網谷修佑さん、海野正輝さん。3人は大学の同級生でもある。

代表の橋本浩寿さんは、当時をこう振り返る。「インターネット広告の業界は変化のスピードが目まぐるしく、その忙しさに次第に疲れてきて、田舎の長閑な場所で仕事ができないか。そう思うようになりました。しかも、WEB関連の仕事なら場所は問わずにできるはずです」

昭和村は、橋本さんが幼少期によく通った場所だった。橋本さんは福島県磐梯町の出身で、小さい頃は祖母の住む昭和村で遊んでいたという。ゆっくりと流れる時間、広い空、自然の匂い。当時の記憶は、東京にいても片時も離れることはなかった。

そんな橋本さんによると、村は高齢者が多くを占める一方で、若い世代が自主的にイベントを企画するなど行動的な人が少なくなく、さらに3人のような”よそ者”を積極的に受け入れようとする風土も根付いているという。WEBメディアの運営などを担当する海野正輝さんも、移住前に何度か現地を視察したが、「村の人たちはとても好意的で、(移住に)全く抵抗はありませんでした」という。

「村内にある空き家を、地域内外の人たちが集まって交流できるような場所にしたい。さらに、僕らの活動によって若い人たちが田舎に興味を持つきっかけになれば」(海野さん)。こうして3人は、いよいよ意思を固めたのだった。

そう決断したものの、いざ移住するうえで不安はなかったのだろうか。その点について、海野さんはこう話す。「衣食住と生活費の確保。こうした最低限の生活環境を準備をすることから始めました。想定されるリスクや不安要素を1つずつクリアにしながら、あとは会社を辞める段取りや家族の同意など、時間をかけながら少しずつ整えていきました」

仕事の仕方は東京と変わらず、意思疎通もスムーズに

3人は今、村内にある一戸建ての空き家を借りて、オフィスとして利用している。同時にそこは、3人が共同生活を送る自宅も兼ねている。仕事としては、東京の企業などからWEBマーケティングや広告運用などの業務を受注し、その売上げを生活費や古民家の改装、自社メディアの運用費用に充てるなどしている。橋本さんは前職時代、執行役員としてある事業部を統括していた。協議のうえ、その事業部の仕事をSATORUが業務委託で請け負うことになったというのだ。

そんな東京の取引先などとは、スムーズに意思疎通ができているようだ。「毎月1〜2回ほど上京し、定例会議などに出席しています。普段は電話やメール、スカイプなどで常にコミュニケーションをとっているので、不便は全くありません。東京にいるときと、仕事の仕方はほとんど変わりませんね」(橋本さん)

広い空と広大な緑に囲まれながら仕事に打ち込む。インターネット環境さえあれば、不便はないという。

昭和村のオフィス兼自宅には、3人それぞれの個室があるためプライベートな空間は確保されている。起床時間は自由だが、いつも10時頃になるとリビングに集まり出し、各自パソコンと向き合いながら仕事を始めるそうだ。一段落したら、古民家の改装作業へ。パソコンを持参し、急用があればその場で対応する。そんな日々を送っている。休日は、今は改装作業に熱中する時間が長いが、ときには県内の観光名所を巡り、その様子をWEBメディアで発信するなどしている。

ただ、生活面で不便なことがないわけではない。例えば、家から最寄りのコンビニやスーパーまでは、車で40分ほどかかるそうだ。食料は一度にまとめて買い込むことが多いという。ただ、田舎ならではの心温まるエピソードも。近所の住民たちが、畑で採れた野菜をおすそ分けしてくれたり、自宅で夕食を食べさせてもらったり。3人は、そんな田舎暮らしを満喫しているという。

木材を切ったり(上)、内装の片付けをしたり(下)、古民家はすべて自分たちの手で改装しているという。

若い世代の雇用創出、村の活性化に貢献したい

そんな3人には、自ら田舎でのライフスタイルを実践するだけでなく、それを通じて地域の活性化に貢献したい。そんな思いが根底にあるという。福島県は、東日本大震災と福島第一原発事故に見舞われた。自身の故郷でもある橋本さんには、「福島、そして東北がどんどん盛り上がってほしい」。そんな願いがある。これは、今回のプロジェクトを立ち上げる大きな動機の1つだった。

限界集落と呼ばれるこの昭和村は、放っておいたらその存続すら危うくなるかもしれない。だからこそ、海野さんはこう考えている。「地元の、特に若い世代の働き口といえば役所や一次産業などに限られるのが現状です。僕らの存在が若者の刺激になり、村に定住する人が増えれば、村の活性化に貢献できるのではないか。そう思ってるんです」

橋本さんも、村の未来や3人の将来を熱っぽく語る。「”昭和村でもおもしろい仕事ができる” 若い人たちにそう感じてもらえたら、嬉しいですね。そのためにも、僕らはここに永住するのではなく、軌道に乗ったら次の世代にバトンタッチするつもりです。そうやって、村に雇用を生み出したい。僕らは全国で”次の場所”を探して、同じようなプロジェクトを手がけていくつもりです」

About Author

フリーライター/1983年神奈川県生まれ。2008年〜化粧品専門誌の記者を経て、2016年フリーランスに。現在、東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)のほか、企業のCSR・CSV、ソーシャル・ローカルビジネス、一次産業、地方創生・移住などをテーマに取材〜執筆活動している。

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